野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

風呂に入りながら回想した

定点観測しているブログ「女王蟻の部屋」筋肉少女帯の話題が。当該ブログのコメントにも書いたが、彼らの「仏陀L」は名盤で、一時期は良く聴いたものだ。あれは確か大学の2年か3年ぐらいだったかと思うのだけど、なぜかそれより結構前から「筋肉少女帯」という名前は知っていた。「大槻モヨコ」のころから。なんでだろう、と思ったら、アレだ、高校生のころ(から大学にかけて)愛読していた「宝島」だ。普通にGoogleで「宝島」だけで検索してもダメなのだ。「宝島 サブカルチャー」で検索するのがミソ。この雑誌は、時代とともにコンセプトがコロコロ変わったようだが、Wikipediaによると、80年代の宝島といえば、

落ち込んだ部数を回復させ、危機を切り抜けるため、「宝島」はそれまでの編集方針を替え、YMO忌野清志郎などのミュージシャンを好んで取り上げるようになり、、80年代的なニューウェーブのファッションや音楽や文化の特集を組むようになった。カラーグラビアを採用し、誌面は80年代のポップカルチャーで埋め尽くされた。80年代後半になるとその傾向は顕著になり、ストリートファッションの特集やロックバンド特集など、当時の若者のバイブルとしてもてはやされた。もはや70年代宝島のむさ苦しさは消滅していたが、名物コーナーのVOWは不動の人気を保った。

なのだそうだ。なるほど。大学のころも読んではいたが、だんだんと面白くなくなってきて、読むのをやめたのが80年代後半だったな。とにかく、今みたいにインターネットなんて想像する事すらできなかった時代、田舎の高校生にとってはとても刺激的でcutting-edgeな雑誌だったのだよ。大槻モヨコだけじゃなくて、中島らも(「啓蒙かもぼこ新聞」ですな)、村上春樹内田春菊しりあがり寿、といったあたりはみんな宝島で知ったんだと思う。
今ではビジネス雑誌なんだそうだ。いったい何がしたいんだ、宝島よ。