野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

まー言うてるだけなんですけどね

先週末は、各地で桜が満開になり、絶好の花見日和だったことだろう。いっちょ花見でもしたろか、と手ぐすね引いていた割には土曜日は雨、日曜日も午後から曇りで肌寒い天候のためテンション激落ちで、結局はほぼ自宅に引きこもって過ごした。
そんな事情で今年はもう花見は無しかいな、と思っていたが、本日たまさか職場の有志にて、大仙公園で花見(夜桜)を決行することと相成った。
花見で飲んだくれる人々は、「何かとネタを作っては飲んでいる」と誹られる。それはまあ概ね間違いでは無いだろう。
ところで、実際に花見の現場において、桜を愛でつつ酒を飲むという光景は、実はあまり見た事が無い。つまり、だいたいみんな桜なんてほとんど見てなくて(ひどい場合はその存在に気づいてさえいない)、アホみたいに飲んだくれているという場合が多い。
しかし、だ。それを「間違った花見」として一刀両断にしてしまって良いのか。
それはちょっと違うと思うのだ。
「花見」と書けば、確かに花を「見る」(あるいは「観る」)ということになるが、実を言うと、桜の正しい楽しみかたは、花を「浴びる」なのだ。
満開の桜が発散する狂気を全身に浴びながら、それに負けないように酒を飲む。
これが正しい花見だ。花は「見る」のではない、「感じる」のだ。(そういう意味では、「観る」は意外と悪くない)。
暗くても構わない。桜の狂気を堪能すれば良い。

てなことをやって、帰宅して鏡を見たら、ものごっつい赤い顔をしていた。俗に「朱泥を塗り固めたような」という表現があるが、まさにこういう顔なんだな、と妙に納得した。