野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

森本は何処へ

夏目漱石の小説「彼岸過迄」は、もともと朝日新聞に連載されていたものらしい。その連載期間が元日からだいたい彼岸過ぎぐらいまでの予定だったのでこのタイトルにした、ていうんだから何とも人を食ったような話だ。

彼岸過迄 (1978年) (新潮文庫)

彼岸過迄 (1978年) (新潮文庫)


さてこの小説、ちょっと短めの長編という体裁だが、様々のストーリーが次から次へと展開し、どちらかというと短編集のような印象を受ける。おそらく新聞に連載されていたという事情からそんな作りになっているのではないだろうか。
文章の方は、漱石らしい名調子で読んでいてなかなかに楽しい。しかし話の筋を追っていくのはちょっと注意が必要かもしれない。最初はやたらと敬太郎の話ばかり出てくるから彼が主役はなのかと思ったら実はそうではなく、彼の友人であるところの須永らしい。前半は第三者の視点で敬太郎の行動についてずっと語られていたのが、途中から須永が語るというスタイルになる。最後の方では須永の叔父であるところの松本が喋っている。ややこしいことこの上ない。
ややこしいといえば、この須永という男がややこしい。「誠実だが行動力のない内向的性格」なのだ。しかしどうもあんまり人ごとのような気がしない。というか妙にシンパシーを感じるというのは、ちょっとイヤだな。
一方では「自意識をもてあます内向的な近代知識人の苦悩を描く」というとちょっと大層な感じだし、

世の中と接触する度に内へとぐろを捲き込む性質である。だから一つ刺戟を受けると、その刺戟がそれからそれへと廻転して、段々深く細かく心の奥に喰い込んで行く。そうして何処まで喰い込んでいっても際限を知らない同じ作用が連続して、彼を苦しめる。

なんていうのは、こりゃまた壮絶だなと思う。まあ、ほどほどにしときなはれ。