三国志といえば、日本人なら知らないものはいない(読んだことはなくても)ぐらい有名な物語だ。そして、そのキャラクタの中でも一、二を争うほどに人気が高いのが、天才軍師の名をほしいままにする諸葛亮・字は孔明。
なのだが、実を言うと「三国志」(北方謙三バージョン)を読んでいると、色々と素朴な疑問が沸き上がってくる。何よりもまず、「孔明って本当にスゴい軍師なの?」ということだ。いや確かに彼の軍略は、常人には思いもつかないような、まさに天才的なものなのだろう、多分(俺様は凡人だからどれだけスゴいのかよくわからない)。だけど結局は、肝心なところで負けてばっかりじゃないか。「いやーあれは運が悪かった」というかもしれないが、それもあれだけ負け続けたらちょっと言い訳が難しいし、そもそもそんなに運に左右されるような作戦ってどうかと思うのだが。
孔明は確かに鬼才なのかもしれない。だけど、鬼才すぎて一般人から見ると「かなり変なヤツ」なんじゃないかと思うのだ。ああ全国の孔明ファンのみなさんごめんなさい。
孔明だけじゃない。そもそもこの三国志という物語全体が、現代日本人の感覚からすると、どうも首を傾げざるを得ないような言動をする登場人物があまりに多すぎるのだ。もちろん、「そういう時代背景および文化であった」というのは理解するのだが、そのあたりを差し引いても、ちょっとこれはいかがなものか、という連中が散見される。
「泣き虫弱虫 諸葛孔明」は、そんなわたくしの数々の疑問に応える名著である。
- 作者: 酒見賢一
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2009/10/09
- メディア: 文庫
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なんだよ、やっぱりそういうことかよ!という感じだ。やっぱりあいつら相当おかしいよ。孔明はやっぱりインチキ臭いペテン師だ。自分で「臥龍」とか言って情報操作なんかしてんじゃねえよこの野郎。天才には違いないけど。天才ゆえに常に考えるのは「宇宙」であり「天下」とか「人民」などといった小さいことにはこだわらない。したがって、その戦略は常に宇宙的であり、凡人が見て重要であると思われるような戦に負けたところで、宇宙の観点では何の問題もない。
これですっきりした。この諸葛孔明像はすばらしい。
600ページを超えるが、まだ「第壱部」であり、あの有名な「三顧の礼」により劉備玄徳に取り込まれるところまで。三国志のエピソードをいくつか拾ってきて、それに作者がツッコミを入れながら話が進んで行く。特に、司馬徽水鏡先生のボケっぷりや龐徳公のクソジジイぶりが楽しい。とにかく、全編通して抱腹絶倒である。電車の中で読むのはお勧めしない。