村上春樹の小説については、その魅力にすっかり取り憑かれてしまう人と、何が面白いのかさっぱりわからんという人の二種類に大きく分けられるようだ。
何を隠そうわたくしは前者に属する人種だ。「1Q84」はまだ読んでないけど。
村上ワールドを偏愛する人も、いざその魅力を(特に「何が良いのかさっぱりわからん」という人に対して)語ろうとすると、はたと途方に暮れてしまう。よくあることだ。わたくしも、かれこれ5年ほども書き綴ってきたこのブログにおいて、村上さんの本について何度か取り上げたことはあるが、いまだかつてその素晴らしさをうまく言い表すことはできていない。
これが何度目の試みになるかはわからない。でもやってみよう。
文庫化された「走ることについて語るときに僕の語ること」を読んだ。
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2010/06/10
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この本は小説ではない。エッセイである(本当はそれもちょっと違う)。だけど、読んでいるうちに、村上さんの小説の魅力を語るヒントが掴めてきたような気がした。
村上春樹の小説の魅力は何か。そのコアの部分は、ある種の諦観とコミットメントじゃないかと思う。
彼の小説の中の世界も、現実世界と同様に数々の理不尽と暴力に満ちている。しかしそれに翻弄される主人公たちは、決して必要以上に嘆いたりぼやいたりすることはない。そこでの自分たちの持ち場、役割を理解した上で、それを最大限の努力でしかし淡々と全うしようとする。世界は必ずしも自身の意に添うものではないし、道理の通らないことも多い、それを受け入れ、飲み込んだ上で、自身の居場所はここで、こういう役割を担っているのだという理解、つまり諦観と、だけどヤケにはならず、その中でベストを尽くす、すなわちコミットメント。この、世界に対する向き合い方、世界を引き受けるありようというのが、なんともタフでかつクールであり、この愚劣な世界を生き抜く上でのひとつのロールモデルとして強いシンパシーを感じたのだ。
それに彩りを加えるのが、食べ物、音楽、本、などだ。調理するプロセスを含めて、食べ物は本当においしそうだし、音楽も本も実際以上に魅力的で、服は本当に着心地が良さそうだ。
なんとかここまでは書いてみたが、あとはうまく書けない。本当に言いたいことの一部しか書けてないと思うが、ことによるとちょっと飲み過ぎたのかもしれない。まあまた機会があれば挑戦してみるとしよう。
やれやれ。