野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

実際ろくでなしだったんだと思うけど

「いつも負けてばかりの劉備、誇大妄想の持ち主である孔明、実はポエマーの曹操… 本書を読めば、三国志のヒーローたちの意外な素顔が見えてくる。」って書いてるけどさ、そんなもん普通に三国志を読んだら、誰でも「あれ?」って思って気づくんじゃないの。
とまあ、ソフトバンク新書の「ろくでなし三国志」を読んでまずはそんな感想を持ったわけだ。

ろくでなし三国志 本当はだらしない英雄たち (ソフトバンク新書)

ろくでなし三国志 本当はだらしない英雄たち (ソフトバンク新書)


でも実際のところどうなんでしょね。わたくしの場合、王道の吉川英治版を読んでないからなんとも言えないけど、でも少なくとも北方謙三版を読んだら普通に思うよね。諸葛亮孔明、本当に天才軍師なのか?ってね。だって現実の(そしてクリティカルな)戦で、全然勝ててないんだもの。まあその辺は「泣き虫弱虫 諸葛孔明」を読むと、確信に変わる。というか、先にこういう本が出ているせいで、この本の言わんとしているところがどうも二番煎じに思えて、残念な感じなのだな。著者であるところの本田氏もかなり中国史とか各種の三国志にかかわる物語に関する造詣が深いようなのだけど。全編まるで2ちゃんねるの書き込みのような語り口をキープしているところは、なかなか根性あってすごいなとは思うし。
Amazonの書評を見ると、著者の妄想を書き連ねただけの本だからクソだ、的なことも書かれているが、そこはまああまり問題ではないだろうと思う。この手の本って、妄想が入らないことにはどうしようもないのだから。実際、「歴史的事実」としてわかっていることが極度に少なければ、足りない部分は作者の想像力(それは時に「妄想」と呼ばれる)で補完するしかないわけで。それを否定してしまうと、たとえば「ローマ人の物語」なんて全然アカンとういうことになってしまうでしょ。
そこは良いのよ、妄想でもなんでも。ただね。ある人が、他者の言動に対して、その動機であるとか目的に対して「こーいう事だったのだ」って言うときに、その人が同様の状況に置かれた時にどう考え、どう振る舞うか、っていうことにその答えはかなり影響されると思うのですよ。つまりどういうことかというと、一般に歴史的な英雄が、彼または彼女の高潔な理想や大義に基づいて行ったと世間では考えられている行動や発言に対して、「いや実はあれにはこういう背景があったから、あんなことをした/言ったんだぜ」てなことを言う場合、それは、少なからずその人の行動原理なり思想なりを反映しているはずだ、ということだ。もっと平たく言えば、人のことをクソだというヤツは、そいつもクソだということ。
彼が指摘していることが間違っているというつもりはないし、それは問題ではない。むしろ、結構当たっているのではないかとも思う。だけど、三国志の登場人物たちに対して、あまりにもクソでろくでもない人間の行動原理をあてはめて解釈するという説を披露することは、とりもなおさず著者自身がろくでもないクソ野郎であることを世間に向けて吹聴することになるんじゃないか、とちょっと人ごとながら心配になったわけよ。
何もわたくし自身が高潔な人格であると主張するつもりはない。むしろかなり邪悪な人間であるという自覚はある。だけど、そんなことをわざわざ世間に向けて披露しなくても良いのではないかな、と思っただけの話だ。