野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

知の巨人によるトークセッション

昨日、相愛大学人文学部の新学科開設記念シンポジウム「人文学部の挑戦」というのに行ってきた。偶然新聞の広告で見つけたのだが、なんてったってあーた、パネリストが中沢新一×内田樹×釈徹宗、という、だんさんぜ〜たくでんなあ!な顔ぶれなのだからそりゃもう速攻で申し込みしましたですよ。でめでたく入場整理券が送られてきたのだけど、何でも聞くところによれば定員600名のところに1600名ほどの申し込みがあったのだそうだ。開始時間ぎりぎりにいったらもう後ろの方のパイプ椅子の席しか空いてなかった。さらには当日券(?)で入った人もあるようで、満員御礼のうえさらに補助席まで出る盛況ぶり。
最初は学長のあいさつ、そして学部長による相愛大学の宣伝で約30分。うーむ、と思ったが、まあスポンサーなんだから仕方がないわな。しかしながら、まだ本編に入ってないのにすでに気を失う人が続出している様子に苦笑した。
さていよいよ本日のパネリスト登場。うおーすげえ、動くウチダ先生、初めて見た!中沢先生と内田先生、同い年よねえ?うーん中沢先生のほうがおじいちゃんに見える… そして釈先生、先日読んだ「現代霊性論」の感じからは、もっとイカツイ感じの人を想像していたのだけど、意外と若い感じ(といってもわたくしより5歳ほど上)で、なんか「ちゃんとした桂小枝」という雰囲気。
トークセッションが始まったらもう、面白いのなんのって。中沢先生は、意外と訥々とした語り口で、でもなんだかはっとするようなことや妙にとぼけたことを次々に繰り出すし、内田先生はもう、いかにも喋り慣れてる感じで、聴いてて引き込まれる。また誰かが喋ってる話を聴いてる様子が、なんかもうすごく頭脳が高速で回転してるような感じで、そのリアクションも含めて、黙っていながら饒舌。釈先生はまさに、知的なこえぴょん。
仏教文化学科と文化交流学科という、今どき多くの学生を集められるとは思えない学科を新設することについての話から始まって、

  • 「頭の良い人」というのは、思いがけないところに同型性を見いだす人のことである。
  • 人文科学を学ぶということは、異なる領域のものをつなげ、組み合わせていくこと、そしてものごとを「考える手順」を学ぶことである。
  • 新しい宗教が生まれるときには、それまでの人類が積み重ねてきた知恵にもとづいた慣習などを否定するところから始まることが多いのだが、仏教ではそれらを儀礼の中にうまく取り込んでいる。
  • 大阪の人間は、話の内容が正しいかどうかなんていうことはどーでもよくて、とにかく話がスムーズに流れて行くことを大事にする。
  • 禅の公案というのは、ダブル・バインドを意図的に発生させるものである。
  • 欧米の学問は無時間モデルであり、本を読めばだいたいわかるようになっている。一方、東洋の学問は、体を使って学ばなければ理解できない、そして時間がかかる。
  • 日本人は、何だかんだ言って変化を嫌い、ぐずぐずしてきた。でもそれが普遍的な人間性をキープできることにつながっている。これからグローバル化が進んで何十年か経った後、普遍的な人間性を保てているのはガラパゴス化した日本だけではないか。

などなど。といった話を次々に、いやはや刺激に満ちた2時間でございました。まーこんな書き方をしてしまうと何のこっちゃわからんとは思うけど。
なんかね、知の巨人のみなさんを見ていて、わたくしもできるだけ「いつも上機嫌」でいられるように精進しよう、と思いましたですよ。