野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

気分の良いバーで飲む冷えたビールは美味しい

ウチダ先生の「もういちど村上春樹にご用心」、とっくに読み終わっていたのだけど、連日飲んだくれてばかりいたので、じっくり本の感想なんて書ける状態じゃなかったのだ。

もういちど 村上春樹にご用心

もういちど 村上春樹にご用心


村上春樹の国内における批評家からの評価はたいそう低い、と言われているらしい。

村上春樹を肯定的に受け容れたのは『BRUTUS』や『宝島』を読むような「ポップで軽い、シティ派志向のちゃらちゃらしたやつら」だという固定的な見方が、そのときに語られ、やがてそれが定説となった。
(p.115 『「激しく欠けているもの」について』より)

あ、確かにオレ『宝島』読んでたわ。悪かったなポップで軽くて。でも確かに初めて村上作品を読んだのは、『宝島』だったのよ。収録されていたのは「午後の最後の芝生」だった。なんてことない話なのだけど、その主人公である「僕」の、世界との関わり方みたいなものにものすごく惹かれたというか。そのあたりの感じについては、以前にも少し書いたが、ウチダ先生はこの「ご用心」の中で「労働哲学」という言葉で表されている。

食べ物を丁寧に扱うとか、友達を大事にするとか、どんなつまらない仕事でもベストを尽くすとか、そういう日常生活のディテールに世界の最深部に通ずる回路が開いているという確信が全作品に伏流しています。
(p.222 「村上春樹の労働哲学」より)

このような哲学に支えられて、非常に手際よく「手持ちの資源でやりくりする」、それは具体的には冷蔵庫の中にあるものだけで食事を作ってしまう、というようなことなのだが、そのような様子が何とも言えず魅力的にうつるのである。
さすがウチダ先生、上手いこと言うなあ。
もうひとつの村上作品のテーマは「父(=聖なる天蓋)の不在」なのだが、こちらはあまりにも概念が壮大すぎて、この俺様にはちと扱いかねるので、そのへんについてはまたの機会に、ということにしよう。
正月は「羊をめぐる冒険」か「ダンス・ダンス・ダンス」を読みかえしてみようか。