野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

レーガノミクスの光と影?

昨年の暮れに「遠い太鼓」を久しぶりに読み直して、ついでだからあの本のアメリカ編ともいえる、プリンストンでの滞在記「やがて哀しき外国語」もこの年末年始に読み直した。

やがて哀しき外国語 (講談社文庫)

やがて哀しき外国語 (講談社文庫)


これまた何度となく読んだ本なのだけど、やっぱり面白いし、90年代のマッチョなアメリカを、911からさらに10年が経った現代から振り返ってみる、というのもまた格別な味わいがある。
そういえばこの本に、アメリカの郊外の都市というのはどこもよく似ていて住宅街があって大きなショッピングモールがあって長い幹線道路があって、それをずっと走っていくとまた住宅街があって… というのが延々続くところで車を運転していると大変な無力感にとらわれる、というような話が書いてあった。でもそれは今や日本でも同じだ。大抵の地方都市では駅前はすっかり寂れて商店街はシャッター通りになっており、そのかわりに郊外の幹線道路を走ると駐車場完備の巨大なショッピングモール(たぶんほとんどがイオンモール)がある。その中はまるで規格化されているかのようにほぼどこへ行っても同じ作りで、何の店が入っていてどこに行けば何があるのかはだいたい想像が付く。年中無休でそこへ行けば大抵のものが安価に手に入る。まさにグローバル資本主義による世界征服の象徴みたいなものだ。実際この正月もまた、その便利さを享受したわけだが、どこかで、ホントにこれで良いのか?という疑問が付いてまわる。いや具体的にどこがどうマズいのだ、というのはうまく言えないのだけれども、何か違うよな、というある種の違和感みたいなものはどうしても拭い去れない。
ええと、そんな事を言いたかったのではないのだ。でも、まさにこの21世紀において「やがて哀しき外国語」を読み返すと、まあそういった諸々のことを何となく考えてしまうわけですよ。
ちなみに、「ブルックス・ブラザーズからパワーブックまで」で、村上さんが滞在中に買ったアメリカ製品はアップルのパワーブックだけだ、と書いているが、今やMacもMade in Chinaなんですよ、村上さん。