野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

ときのあとさき2012

歯を抜いた後の鈍痛を抱えながら法然院へ行った。恒例の「ときのあとさき」、mama!milkのライブである。
昨年は台風が来ており、悪天候の中で行われたのだが、まあそれはそれでなかなか味わいがある。とは言ってもやはり天気は良いに越したことはない。なによりまず現地までのアクセスもあるし。
夕方5時ごろに法然院に着いたころは何とも言えず蒸し暑く、入場待ちの行列に並びながらだらだらと汗をかいていたものだが、日が暮れるにつれ気温も下がってきて、だんだんと涼しくなってきた。会場となっている方丈でも、時折入ってくる風が心地良い。
昨年と同様、ライブは2部構成となっている。第一部が日没前後、そして30分ほどの休憩をはさんで第二部となり、照明が入る。その演出も素晴らしいと思うが、やはり第一部、だんだんと暗くなっていく中での演奏は何とも言えない。レヴィ=ストロース老師は「悲しき熱帯」で日没についての記述にまるまる一章を割いている。

夜が昼にとって代わる、決まりきっていながら予見できない、その過程の全体ほど神秘的なものはあるまい。そのしるしは、突然空の中に覚束なさと苦悩を伴って現われる。夜の湧出が、様々な形の中からこの掛替えのない機会のために選び取る形を、誰も予測できないであろう。理解できない錬金術によって、各々の色は、その補色への変身を遂げて行くのだが、これがもしパレットの上だったら、同じことをするのに、どうしてももう一つ、絵具チューブを開けなければならないだろう。しかし、夜にとっては、色の混合には境界がない。というのも、夜は偽りの見世物の幕を上げようとしているのだから。夜は、薔薇色から緑色へと移って行く。だがそれは、幾つかの雲が強烈な赤色に染まり、そのことによって確かに薔薇色だった空を緑色に見せかけているのに、私が注意しなかったからなのである。
(「悲しき熱帯<1>」p.105)

さすが老師、詩的ですな。何を言ってるのかわからんぐらいに。わからんけど、黄昏時の刻一刻と変わっていく光の中で演奏している彼らを見ていると、この一節が思い出されたのでございますな。
こういうのも含め、天然素材を活用してしっかりビジュアルまで演出するってなかなかすごいな、ということで、毎回楽しみにして彼らのライブには足を運んでしまうわけですよ。