野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

もうどこにも逃げ場はない

Kindle本には無料サンプルがあり、最初の10ページほどをお試しで読めるようになっている。
で、ふと目についた「チェルノブイリの祈り」というのを読み始めたらやめられなくなり、そのままダウンロード購入。まんまとハメられたわけだ。

チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)

チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)


チェルノブイリで消防士をしていた男性の、妻へのインタビュー(というより談話?)から始まる。1996年4月26日に発電所で火災があり、消防士が出動した。有名なチェルノブイリ原発事故、炉心溶融にともなう爆発による火災だ。この冒頭のインタビューで語られる男性は、消火活動で大量の放射線を浴び、二週間後に死亡した。その経緯を、まことに胸ふたぐ思いで読んだ。事故当時に近隣に住んでいた人たちや、事故の後に除染作業に携わった作業員、科学者、軍人、その他諸々のインタビューが続く。原子力放射能に関する専門家もいれば、何のことだかさっぱりわかってない人もいる。それぞれに、いろんな事を言っている。ひとつ確かに言えるのは、あの事故によっておびただしい数の人たちの生活が、あるいは住む世界がすっかり変わってしまったということだ。それも、かなり悲惨なかたちに。当時のソ連政府は、当初この事故のことを隠蔽しようとしたようだ。隠しきれるはずがないのに。それで、ロクに説明もされず、ちょっとした額のカネで釣られて事故の後処理や除染作業に従事した多くの人々がまた被曝した。
あの事故から25年経った後、東日本大震災により福島で原発事故が起こった。その経緯は、この本に出てくる話と大きく変わらないように思える。まったく、我々は歴史に学ぶということができないのか、と暗澹たる思いで読み進めているうちになんと、ご案内の通り熊本で震度7地震が発生した。マジでそのまま稼働し続けるのか、川内原発

原発というのは、やはり生身の人間の手におえるものではないのだと思う。極めて限定的な条件下で、かつ幸運に恵まれ続ければ、それはいかにもうまく制御できているかのように見えてしまうが、ひとたび「想定外」な事象が発生すれば、そのアウトカムというのはほとんど制御不能だ。それをアンダーコントロールだなんだというのは、救い難いボンクラか病的な嘘つきか、あるいはその両方だ。
我々は歴史に学ばなければならない。