野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

ぶっ飛んでますなぁ

今までは、かなり面白そうな本でも、できるだけ文庫になるのを待ってから買うようにしていた。まず値段が高いだけでなくかさばる(持ち歩くのに面倒だし保管スペースを食う)からだ。しかし最近ではKindleがメインになってしまい(本当は紙の本の方が好きなのだけど)、そうすると物理的なサイズの問題がなくなる分ハードルが下がってしまい、文庫になってない本でもほいほいと買うようになってしまった。大抵Kindle版は紙の本より少し(時には大幅に)安いというのもまたこの傾向に拍車をかけている。困ったもんだ。
というわけで、初版発行時から気になっていた「数学する身体」を、第15回小林秀雄賞受賞てな記事をどこかで読んだ勢いで、ついうっかりと。

数学する身体

数学する身体

数学の様々な定理をわかりやすく説明するとか、数学者のけったいなエピソードを紹介する、なんていう本は面白くてわたくしは好きなのだけど、この本はちょっと違う。数学のいろんなトピック、というよりは、その一つか二つぐらい上の次元、もっとメタなレベルでそもそも数学とは、というような話がメインのテーマだと思う。アラン・チューリング岡潔、という二人の数学者についても語られるのだけども、彼らのエピソードも結局は数学そのものについて考えるためのネタになっている。
数学というのは他の学問分野と比較して極端に抽象度が高いもののはずなのだけれども、実は身体性と不可分なものが見えてきたりする、なんていう指摘などは興味深い。そしてこういうものは突き詰めていくと、だんだん宗教的なものに行き着いてしまう。岡潔もそうだったのだ。こうなってくると、わたくしのような凡人にとっては、もう何が何だか、という感じになってくる。
科学者には時々ものすごく魅力的な文章を書く人がいる。例えば福岡ハカセとか。この著者もそうだ。いずれも美しいのだけど、福岡ハカセの文章がリリカルなのに対して、この人の場合もっとドライで透明な感じがする。まあとにかく面白い本だった。面白いけれども頭がオーバーヒート気味だ。ちょっと耳から煙が出ていて焦げ臭い。しばらく頭を休めないと。