野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

そんなやつほんまにおるんか?と改めて

『「意識高い系」の研究』?アホなことをやっとるな。と思いながらも、なんだか面白そうなので読んでみた。

「意識高い系」の研究 (文春新書)

「意識高い系」の研究 (文春新書)

 

当節、そこかしこでその言動が面白おかしく喧伝され揶揄の対象となり、また疎んじられている「意識高い系」。幸か不幸かわたくしは、自身の周辺においてついぞそのような人々を見かけたことが無いので、これが実在する人種なのかはたまた都市伝説なのか、ということをまだ判別つきかねている。が、こうやってその生態を観察し発生に至る経緯を分析する著作があるからには、やはり世界のどこかにはそういう一群の人々が存在しているということなのだろう。
さて著者によれば、「意識高い系」とは「リア充」になりたいという強い欲望に苛まれながらも、そのための泥臭い努力をすることはなく、ただひたすら外面のみを「盛り」(昨今ではSNS等によりこれが可能となる)、己の虚栄心を満足させることに汲々とする人々である、としている。なるほど、あるいはそうかもしれない。ではここで言うところの「リア充」とはそもそも何なのか。これにも筆者は比較的明確な定義を与えている。曰く、上級の親族より土地家屋等の資産を継承して(あるいはそれが確実視できて)確固たる地盤を持ち、スクールカーストにおいては最上位の階層に属していた土着の人々である、という。
ほんまかいな、と思う。いわゆる「リア充」というものに対して、これが本当に世間一般で共有されている認識なのか?そんな大層な話なのか?わたくしにはよくわからない。
ひと握りの持てる者たち=「リア充」とそれ以外の人々との間には超えられない壁がある。社会はあらかじめそのような階層に分かれており、文化資本は持てる者たちの内部においてのみ再生産され決して流動することはない。と、まるでブルデューのようなことを言っているようだが、そのあたりでわたくしにはどうもうまいこと頭に入ってこなくなってしまったのだな。
どうにも拭いがたい違和感があるものの、わたくしは本書で開陳されている説に対して反論できるだけのエヴィデンスもなければ動機もない。言い方を変えれば、「どうでもええ」というふうに取っていただいても差し支えなかろう。まあ、お好きな方はどうぞ。