野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

Avant-hier, maman est morte.

朝7時半すぎに家を出て、鳥取の実家に車で帰った。
中国自動車道の宝塚あたりは常に渋滞しているものだと思っていたのだが、平日の朝でも広島方面行きだとまったく混んでないのだな。10時すぎには鳥取に着いてしまった。今まで何十回と中国自動車道を使って帰省しているが、こんなに順調だったのは初めてだ。

28日の夜に母が亡くなった。本日が通夜で明日が葬儀という段取りだ。近親者では過去に祖父母、また叔父などの弔事は経験しているが、自身の親については初めてだ。こんな事をやっていたのか、というのがいくつかある。たとえば納棺の儀。遺体の湯灌をして、死装束を着せ死化粧を施し、棺に納める。その一部始終を初めて見た。ちょっと中村獅童似の納棺師の青年は、冬場だというのにやたらと汗をかいていた。半袖シャツとはいえネクタイを締めていたからか、あるいは遺体を持ち上げたり湯を使ったりするからか。
現代の葬儀というものは多くの場合、必要な手順を業者が把握しており、それらの相当な部分を代行してくれる。遺族は様々な項目について、あらかじめ用意されたオプションの中から適切なものを選び出す意思決定をすればよい。とはいうもののこれも結構な量ではあるが。昔はこれらを自分たちですべて行なっていたのだな、と思うと気が遠くなる。今でも田舎の大きな家などはそうしているのだろう。
葬儀場には遺族が宿泊できる部屋があり、風呂までついている。今夜はここに泊まる。正直な話、実家より清潔で快適だ。ある時期には7人の家族が住んでいたあの家は、年老いた両親だけが暮らすには少しばかり大きすぎ、今ではまともに機能していない。その辺りのことも、これからぼちぼち考えていかねばなあ。