野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

国体は二度死ぬ

そろそろちょっとイカツいやつでもいっとくか、てことで『国体論 菊と星条旗』。

国体論 菊と星条旗 (集英社新書)

国体論 菊と星条旗 (集英社新書)

そもそも国体(國體)とは何か、というと、戦前においては“万世一系天皇を頂点に戴いた「君臣愛睦み合う家族国家」を理念として全国民に強制する体制”(p.3)であり、それは明治維新で「天皇の国民」として形成され、大正デモクラシーあたりの「天皇なき国民」の安定期を経て、昭和初期から「国民の天皇」の時代となり敗戦に向けて崩壊して行った。
敗戦後も「護持」されたはずの国体というのは、大枠として対米従属の構造があり、その中に大きな権威を持つ傀儡として天皇を据えた、すなわち象徴天皇制である。しかしながら戦後の日本は一貫して対米従属という事実を無視または隠蔽してきた。戦後の国体は「天皇」を「アメリカ」と読み換えると、占領期から復興、高度経済成長へと続く「アメリカの日本」の時代、ベトナム戦争から後、冷戦終結に向かって行く「アメリカなき日本」の時代を経て、冷戦終結後、現在の日本は「失われた20年(あるいは30年)」となる「日本のアメリカ」の時代で、再び崩壊に向かいつつある。
だいたいそんな話だ。我々はいま、暗愚な指導者によって破滅に向かって進んでいるのだとは日頃から感じているのだけども、その流れと意味付けをこの150年ほどのスケールで、整理したかたちで改めて見せつけられた気がする。
2016年の今上天皇による「お言葉」が契機となってこの本は書かれたという。そして、最後にこう締めくくられている。

「お言葉」が歴史の転換を画するものでありうるということは、その可能性を持つということ、言い換えれば、潜在的にそうであるにすぎない。その潜在性・可能性を現実態に転化することができるのは、民衆の力だけである。
民主主義とは、その力の発動に与えられた名前である。(p.340)

すげえなこれ。静かで熱いアジテーションだ。なかなかに揺さぶられるものがありましたですよ。