『大阪的』は前から気になっていた。今回貸してもらったので読んでみた。100ページ強のボリュームで、わりと気軽に読める感じなのだな。
- 作者: 江弘毅,津村記久子
- 出版社/メーカー: ミシマ社
- 発売日: 2017/03/16
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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おばちゃんは、化粧濃いけど、話はだいぶ面白い。料理もうまい。性格だって、清廉潔白とは言えないけれども、気はいいし、悪くはないと思う。
でもたまに、どれだけおいしい料理を出してくれてもちょっとだけ静かにしてほしいとか、もっと新鮮で繊細なものの見方がほしい、と思ってしまうことがある。いや、おばちゃんに飽きたというのではない。でもたった一つだけ、どうにもならないことがある。おばちゃんはもう二度と、老獪でなくなることはできない。(p.9)
と書かれていて、なるほど、上手いこと書くなあ、と思った。もっとも個人的にはそんなに共感はしない。つまり、話がオモロくて料理がうまい、性格もそんなに悪くない、というあたりは同意するが、おばちゃんの老獪さに対して「しんどいねんたまになんか」とか、「二か月に一回ぐらい街中でぐったりして」「おばちゃんちょっとほっといてくれへんかな?」と思う、なんてことは別にないです、わたくしの場合。その辺は、大阪で生まれ、39年過ごしたという津村さんと、関西で暮らし始めたのは18歳のころで、いうても大阪に住むのはまだ30年弱、というわたくしの違い、なのでしょうか。知らんけど。ああでも、最近の大阪は何やら電飾屋さんとかチンピラ崩れみたいな緑色の連中がやたらデカい顔してて、それは鬱陶しいなと思うけどね。
一番面白かったのは、津村さんがニューヨークに住む高校の同級生に「トランプってヅラなん?」という話をしたら、そんなん旦那にも友達にも聞けない、というので「これはニューヨークに染まってしまったな」と思った。という話。
いやいやもう、ほんまに。だってだめなんです。「ヅラなんかな」って思い続けないと。ヅラやな、ヅラやと思う?みたいな話をし続けないとだめなんですよ。(p.85)
なんて言ってて、何がだめやねんな、と思わず吹いてしまったが、でもまあその感じ、わからんでもないです。津村さんっておもろいな、ちょっと次はこの人の小説も読んでみよかな、と思ったのでありました。