野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

本題はそちらではなくて

「恐怖は想像力の代償だ」
映画『レッド・ドラゴン』の中で、FBIの捜査官ウィル・グレアムがハンニバル・レクター博士と対面するシーンに出てくる台詞だ(「想像力の代償は、恐怖だ」だったかもしれない)。
あれって原語では何て言ってるんだろう?と思って調べてみると、

Fear is the price of our instrument.

だった。instrument?それって「想像力」につながるような意味があるのかな、といろいろ調べてみたがどうもしっくりこない。このレクター博士の台詞の、もう少し前の部分まで見ると、

Then here's one... you stink of fear and that cheap lotion. You stink of fear Will, but you're not a coward. You fear me, but still you came here. You fear this shy boy, yet still you seek him out. Don't you understand, Will? You caught me because we're very much alike. Without our imaginations, we'd be like all those other poor... dullards. Fear... is the price of our instrument. But I can help you bear it.

となっている。なるほど、問題のFear is the price... より少し前の部分、“Without our imaginations, we'd be like all those other poor... dullards. ”がポイントだな。普通に訳すと

恐怖と安物のローションの臭いがする。ウィル、恐怖が臭ってくるよ。でもあんたは臆病なわけじゃない。あんたは私のことを恐れながらも、ここまでやって来た。このシャイな少年を怖がりつつも、追いかけている。わからないか、ウィル?あんたが私を捕まえることができたのは、私たちがよく似ているからだよ。想像力がなければ、私たちも他の間抜けな連中と変わらない。恐怖は… 私たちの持っている能力の代償なんだ。

ぐらいな感じだろうか。それにしてもレクター博士「シャイな少年」って自分のことか?あつかましいなやっちゃな。ってまあそれは良いとして、たぶんここでinstrumentは手段、とか道具、ぐらいな意味合いで、意訳して能力、と。で、さらに意訳すると、その能力ってのがつまり前段で出てくるour imaginations=想像力、を受けており、その結果「恐怖は想像力の代償だ」となるんだろうな。しかしこの名台詞は原作には出てこない。手元にある『レッド・ドラゴン』(ハヤカワ文庫版、小倉多加志訳)では、このシーンはあっさりと

「あんたがわたしを捕まえたわけは、わたしたちが瓜二つだからさ」(上巻 p.124)

で片付けられている。なんだ、がっかり。と思ったが、いろいろ検索していると原作の“Red Dragon”からの引用として、以下のようなやり取りが見つかった。

It's fear, Jack. The man deals with a huge amount of fear.
Because he got hurt?
No, not entirely. Fear comes with imagination, it's a penalty, it's the price of imagination.

おお、まさにこの最期の部分じゃないか。でも誰だジャックって?と思いつつ前述の日本語版を探してみると、FBIアカデミー行動科学課の客員講師アラン・ブルーム博士とグレアムの上司ジャック・クロフォードの会話だった。

「ウィルをいちばん強く駆りたててるのは何だと思う?」
クロフォードは首を横に振る。
「恐怖心さ、ジャック。彼はものすごい量の恐怖と取っ組んでるんだよ」
「傷を負わされたからか?」
「いや、ともかぎらん。恐怖は想像力から生じるものでね… 一種のペナルティー、想像力の代償というわけだ」
(上巻 p.270)

そうか、もともとブルーム博士の台詞だったものを、レクター博士が喋らせたことにしていたのか… 実に至言であると思うのだが、いかんせん登場人物一覧にも載ってないようなちょいキャラのブルーム博士であるから、その手柄をレクター博士に持っていかれてしまったわけだな。
さて、なぜ長々とこんな話を書いているかというと。
ほむらさんの『鳥肌が』を読んだのだ。

鳥肌が (PHP文芸文庫)

鳥肌が (PHP文芸文庫)

「怖い話」のコレクションだ。「怖い話」は、実は日常的に、わたくしたちの身の周りに転がっているのだ。ほんの少しだけ注意を払い、あるいは想像力を働かせると、それらはいくらでも見えてくる。そう、つまり「恐怖は想像力の代償」なのだ。
ほむらさんがそこら中から拾い集めてきた「怖い話」をいくつかに分類し、なぜ怖いのか、どこが怖いのか、を理路整然と説明してくれている。つまらんギャグを言ってしまった時に、そのギャグの「どこがオモロいのか」を説明されるほど辛いことはない、と思うのだが、どういうわけかこの「どこが怖いのか」の解説は実に興味深い。というか、ユルいダメ人間を装っているほむらさんが、実はこれだけ冷徹な目で世界を観察し、解釈しているのだという事が垣間見えて、実はそれもなかなか怖い話だな、と思う。