野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

確かにすごかった

ジャック・ラカンが「女性は存在しない」なんて言って人々を煙に巻いていたけども、最近ではマルクス・ガブリエルが「世界は存在しない」とか言い出して、おいおいそんなネタを蒸し返すのかよと思っていたらカルロ・ロヴェッリも負けじと「時間は存在しない」って、誰だよカルロ・ロヴェッリって?
イタリアの理論物理学者でループ量子重力理論の創始者
いや、ループ量子重力理論てあんた。
やれやれ。

そのカルロ・ロヴェッリの『すごい物理学講義』という本がある。

ちょっと頭悪そうなタイトルだ。原題は“La realtà non è come ci appare”で、「現実は目に映る姿とは異なる」という意味らしい。そりゃまあ、そのままではちょっと地味すぎるかもしれないけど、もうちょっとマシなタイトル無かったんだろうか?
というのは置いといて。Amazonのレビューを見ると、ずいぶん評判が良い。
騙されたと思って読んでみたら、やたら面白いんだこれが。

そう、ループ量子重力理論について解説した本だ。
その名前にどことなく中二病的な味わいを感じずにはいられないループ量子重力理論について説明する前に、人類の歴史の中で科学者(あるいは哲学者)たちがどのようにして世界を表そうとしてきたか、を振り返る。
世界のあれこれは、それを構成する最小単位の粒子がある、と言い出したデモクリトスあたりから始まって、空間と時間と粒子で説明しようとしたニュートン。そこにファラデーとマクスウェルが「場」の概念を持ち込む。アインシュタインは空間と時間は「時空間」として同列に扱える、と説いた。さらに量子力学では粒子を量子場なんていう概念に置き換え、量子重力理論までくると、時空間も量子場もひっくるめて共変的量子場なんて言い出すもんだから、いよいよもう何がなんだか。
でも科学の発展の歴史を概観すると、そういう見方ができるのだな、というのがなかなか面白い。
そして、量子力学の本質というのはすなわち粒性、不確定性、相関性であるという。
最初の二つは、わたくしも前からそのように了解しているつもりなのだが、最後の相関性、というのは本書で指摘されて初めて知った。量子論の世界においては独立した事象とか絶対的な物理量といったようなものは存在せず、常に何かしらを参照し、その相対関係というかまさに相関性においてのみ定義が可能になる、という(そんな理解で合ってるのかよくわからんが)。うーむそうだったのか。
また、理解していたつもりの「粒性」についても、エネルギー(あるいは情報)やサイズには最小単位があるということは、それはつまり「無限」の否定である、と指摘されて初めて、おおそうなのか、と驚いた。
そういえば「くりこみ理論」って、いろんな計算をしていくと無限大に発散するのがあってややこしいから、とりあえずそいつらを実験で求められた値に置き換えとくと何かと具合が良い、ってそんなご都合主義というかデータの改竄みたいなことをやってそれでノーベル物理学賞かよ、と思っていたものだが、なるほどあれはつまりこういうことだったのか。
さらには、最終章あたりになってくると熱とか情報なんてものが出てきて、共変的量子場における相関性として考えると、我々が日常的に観察しているところの様々な物理量もまた違った見え方をしてきて、しまいには「時間は存在しない」に行き着いてしまい、ちょっと叫んでしまいそうになる。

参った。面白い本だが、頭の中をかき回された気がする。
当たり前だけど科学というのは、日々進歩しているのだな。たまには科学の最先端の知見に触れて、自分の知識をアップデートしてみるというのも、なかなかに刺激的な体験であるなあ。