野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

うらまないのがルールだぜ

もう10年以上前になるが、『クロッシング・ザ・ブリッジ』という映画を観に行った。

アインシュトゥルツェンデ・ノイバウテンアレクサンダー・ハッケイスタンブールのあちこちへ行き、地元のミュージシャン達とあれこれセッションをする、というドキュメンタリーだかロードムービーなんだかよくわからない、でも面白い映画だった。
タイトルのブリッジってのはつまり、ボスポラス海峡に渡される橋(具体的にどの橋かは知らんが)のことで、この橋を渡れば西洋とアジアを行ったり来たりできるわけですな。で、多くの民族と多様な文化を抱える、というイスタンブールの魅力を探る、と。
わたくしが小学生の頃、イスタンブールは飛んでいくものであり、光る砂漠でロールしつつ、うらまないのがルールだったが、高校の世界史でコンスタンティノープルなどという別名があるということを知った。
コンスタンティノープルは、ビザンティン帝国の首都だ。山川出版の世界史の教科書には、

1453年、オスマン=トルコに滅ぼされた

と書かれている。別のページには、オスマン=トルコの立場から

1453年にコンスタンティノープルをおとしいれてビザンティン帝国を滅ぼすとともに、この地に都を移してその名をイスタンブルと改めた。

とも書かれている。いわゆる「コンスタンティノープルの陥落」である。
西洋とアジアの境目にある、キリスト教世界の首都だったコンスタンティノープルが、台頭してきたオスマン=トルコに侵略され、以降その帝国の版図を拡大していくイスラムの帝国に呑み込まれた、という、エポックメイキングかつシンボリックな出来事だったわけですね。
教科書では一言で片付けられているが、まあ大事件なわけで、その経緯については、複数の資料が残っているようだ。『コンスタンティノープルの陥落』は、その軍医とか商人とか司教とか、という様々な立場で残された記録をもとに、まるで見てきたかのような小説仕立てになっている。

あの『ローマ人の物語』シリーズの塩野七生せんせいですから、もちろんあの調子で、しかしもっと小説っぽく、エンターテインメント寄りな感じかな。
キリスト教世界とイスラム教世界の間で、こうして延々とやられたりやり返したり。こういう歴史を踏まえると、西欧のイスラモフォビアってのも、なかなか根が深いよなあ、と思ったことだった。