「映画は父を殺すためにある」というタイトルを書店で見て、ははあ、と思った。たぶんあんな話だな、と。
映画は父を殺すためにある: 通過儀礼という見方 (ちくま文庫)
- 作者: 島田裕巳
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2012/05/09
- メディア: 文庫
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副題にあるとおり、宗教学における「通過儀礼」の概念で、映画を読み解くという本だ。その試みはなかなか面白いし、それなりにうまく行っていると思う。のだけど、どうもちょっと全編それだけで押し通されてもな、というのが正直な感想だ。
「ローマの休日」や「スタンド・バイ・ミー」など誰でも知っているような名作をもとに、通過儀礼がどのように描かれているかについてわかりやすく解説している。また「フィールド・オブ・ドリームズ」や「愛と青春の旅立ち」により通過儀礼としての「父親殺し」についても語られ、さらに日本の黒澤明や小津安二郎の作品を題材に日本的通過儀礼とアメリカとの比較もなされる。
まあそれは良いとして、「魔女の宅急便」を始めとする一連の宮崎駿作品に関して、あれは通過儀礼の観点から見てどうも筋の通らないところがある、だからあんまりできのよくない作品だ、と言っているように読めるのだけどそれはちょっとどうなんだ、と思う。別に宮崎作品の肩を持つつもりはないけれど、自分の理論ないしは仮説に合わないものはダメな作品っていうのはあんまりじゃないか(そうは言ってないかもしれないけど)。
寅さんシリーズにいたっては、漱石との関連についても言及するわけだけども、関連と言ったって「坊ちゃん」の中で柴又のどじょうについて書かれているとかなんとか、実にどうでも良いような話なので、ちょっとどうなのよそれ、と。寅さんの話をするなら、ウチダ先生みたいにレヴィ=ストロースによる親族構造の理論を引いてくるとかアメリカ映画からミソジニーを引っ張り出すとか、それぐらいのアクロバシーが欲しい気がするんだけどな。ちょっと無茶なこと言うてますかね。
気付くとずいぶんとひどいことを書いてしまったかもしれない。だけどどうしても、ちょっと物足りない感じがするのだよ。すみませんねぇ、エラそうなことばっか書いて。