先日読んだ『暇と退屈の倫理学』はかなり読み応えがあったのだけど、いろいろと興味深い話があった中のひとつが、ダニの環世界だ。
マダニには目がない。マダニが知覚できるのは、酪酸の匂いと、哺乳類の体毛の感触および体温のみである。したがってマダニの環世界はこれら3種類の知覚標識のみによって構成されている、という話。
灌木の枝先に留まったままで、哺乳類の皮膚腺から発せられる酪酸の匂いをひたすら待ち続けるマダニは退屈しないのか、てなことを考えていくわけだが、それは置いといて、この話の元ネタは、ユクスキュルの『生物から見た世界』である、という。面白そうじゃないか、じゃちょっとそっちも読んでみよう、ということになり、岩波文庫で買い求めた。
人間が見ている部屋の様子は、イヌにはどう見えるか。ハエにとってはどうか。ミツバチの、ウニの、ゾウリムシの環世界、等々について。同じ主体であっても、異なる環世界においては異なる客体として認識される。
人間だって、それぞれ異なる環世界がある。あるカシワの樹は、木こりにとっては伐ることができるかどうかを念入りな測定によって判断すべき対象であるが、たまたま人間の顔に似たこぶ(木こりは気に留めない)があるために、少女にとっては、怒った顔で見つめてくる恐ろしい悪魔になる。
そんな具合に、天文学者には天文学者の、物理学者には物理学者の環世界がそれぞれに存在する。同一人物でさえ、その時々によって環世界は変わる。この本にそこまでは書いてないが、人間のこの複数の環世界間を移動できる自由度が退屈を引き起こす、と『暇と退屈の倫理学』には書かれていたな。
でこの本、けっこう古い(1934年)ので、たとえば光はエーテル波だということになっていたり、赤と緑が交ざると白になる、なんて書かれていたりするのも、また味わい深いところだ。