昨夜は体調が悪かったのか、ワインほぼ1本飲んだら今日は二日酔い。こういうときは運動して汗をかけばすっきりする、と泳いだらますます気持ち悪くなり、30分ほどでギブアップ。
高槻で用事があり、元気があればそのまま京都まで行こうと思っていたが今日はまあやめといた。
さて、これまた先日借りた本なのだが、「納棺夫日記」というのを読んだ。納棺夫なんていう仕事があるとは知らなんだ。いや実際には納棺夫という言葉は無くて、広辞苑にも載ってないそうなのだけど(著者がそのように書いている)。確かに、誰かが遺体を棺桶に入れる必要があるわけで。
- 作者: 青木新門
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1996/07
- メディア: 文庫
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この本を読んだ人の反応、というか感想は大きく二つに分かれるそうだ。
一章の<みぞれの季節>や二章の<人の死いろいろ>を評価し、第三章の<ひかりといのち>は理屈ぽいとか、無かったほうがよかったとか、むしろ第三章など書かずに一章と二章の具体的現場の体験をもっと書いて欲しかったという意見と、第三章に高い評価を寄せる人とに分かれていた。
ということで、僕の感想はどちらかというと前者に近い。もちろん、無いほうが良いとまでは思わないけど、随分と印象が違うなとは思った。
ただその第三章で、アインシュタインの「科学的でない宗教は盲目である、宗教のない科学は危険である」という言葉を引いて書かれている、現代の宗教が抱える問題というか直面している危機みたいなものについては、なるほどなという感じだ。