なんとなく、ヤバいんじゃないかなー、と思っていた。そう、薄々感づいてはいたのだ。
色々あるのだけど、一番感じるのはやっぱりGoogle様だ。何かわからないことがあれば、まずGoogle様にお伺いをたてる。今時まあ誰でもそうだろう。でもその時に、何かちょっと引っかかるものを感じないか?どこか、自分が少しアホになった気がしないか?
どうやら、気のせいではないらしい。アホになっているのだ、少しづつ。
という感じで、「ネット・バカ」を読むと「ああやっぱり」と思ってしまう。どこまで本当かはわからない。でも、たぶん本当だ。実感があるもの。
- 作者: ニコラス・G・カー,篠儀直子
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2010/07/23
- メディア: 単行本
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でもこのタイトルはちょっとあざといよな。インターネットを使いすぎるとバカになる(またはアホになる)というのは、ちょっと言いすぎだろう。「バカになる」ではなくて「知性を構成する要素のうちのある部分が致命的に損なわれる」とでも表現したほうが正確かつフェアなんじゃないかと思う。
もともと、「紙の本とディスプレイに表示されたテクストの何が本質的に違うのだろう」というのは、わたくしが(別にわたくしに限らないと思うけど)ことあるごとに考え続けてきたテーマだ。この本による答えとしては、そのうちで最も大きいのが「他のコンテンツへのアクセス容易性」だ。それがあるがために、読者は目の前にあるテクストに集中して、深く読み込むことができなくなる。そして、検索・フォルタリング技術の発達は、大量の細切れ情報を、できるだけすばやく処理し、取捨選択していく能力を強化していくが、特定のコンテンツに深く入り込む能力を損なう、というわけだ。
どこまで本当かは知らん。しかし、かなりの部分で真実なのだろう。そして、それが良いとか悪いとかいう話ではない。「今こういうことが起こっている」と言っているだけだ。とにかく、この10年〜20年で、我々は以前に想像することもできなかったような利便性を手に入れることができた。その代償として失われたのは一体何なのか、ということをあらためて考えてみたってことよ。
じゃあどうすれば良いと?知るかよそんなもん。