ふだんほとんどテレビを観ないので、池上彰というのがどういう人なのかよく知らなかったのだけど、どうもいろんな難しい話をわかりやすく解説する人、であるらしい。そういや本もたくさん出てるわな。
で、そんなたくさん出てる池上本の中の一冊、「池上彰の宗教がわかれば世界が見える」を読んだ。
- 作者: 池上彰
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2011/07
- メディア: 単行本
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なるほどこりゃわかりやすい。まあ個人的にはちょっと歯触りが良すぎる感じはあって、マサルちゃんぐらいイカツい方が好みだったりはするけど、でも難しいことを明快に説明するってのは決して悪いことじゃない。
第1章は、日本および世界の宗教の全体像についての池上さんご本人による解説。第2章以降は様々な宗教関係者との対談、という構成になっている。
日本人は無宗教だ、とよく言われるが、実は色々な宗教に対して寛容なだけであり、マインド的には世界の中でも他に例を見ないほどに宗教的である。などと書かれている。なるほどな、と思う。じっさい、個人的にも一神教の狭量さはどうも窮屈であまり好きになれない。釈徹宗さんは、対談の中で「弱者の宗教は一神教的になる傾向がある」と発言されている。日本というのは、何だかんだ言っても比較的豊かな自然と気候に恵まれた国であるからして、やはりその民族のDNAとしては一神教的なものはちょっと受け入れにくいんじゃないかな、という気はする(もっとも、前記の発言は、法然の浄土宗や親鸞の浄土真宗は社会の枠組みからこぼれる弱者のための仏教であるから、やや一神教的な性格を持つ、ということを受けてのものであるが)。
それにしても対談の中では、やはり最後の養老せんせのやつが一番すごいな。どの宗教家よりも、養老せんせが一番つきぬけてるというか悟っている感じがする。「死は究極の不条理」(p.249)とか、「対立するということは、実は同じだということ」(p.254)とか、「一神教的なプレッシャーがないのが日本のいいところ」(p.256)とか、名言が満載だ。そして、進化論と一神教は実は論理構成としては同じものである(前記の「対立するということは…」についての説明)と指摘する。
神様が世界を作って、世界が終わるときには「最後の審判」がある、という話と、アメーバから進化していって人間まで至った、という話は論理構成がそっくりなんです。どちらも始まりがあって、一直線に進んでいく、ということですからね。
(pp.255-256)
うーん、やっぱすげえわ、養老せんせ。和声の推進力によって音楽を前に進めていくという点においては、バッハもビバップも音韻構造的には同じである、という菊地成孔さんの話に通じるものがある。こういう、通常より一段か二段ほど高い次元で物事を捉えられる知性というものに弱いのですよ俺様は。