野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

誰が変態やねん

三国志』第10巻。

三国志 第十巻 (文春文庫)

三国志 第十巻 (文春文庫)

街亭の戦いでは馬謖がやらかしてしまって敗走、ところがこれに懲りずに蜀はまた北伐を敢行するという。諸葛亮は戦略家とは言えないし、優柔不断で軍事には向いてない(行政能力はめっちゃ高いけど)、と散々ディスってきたが、それでもいくつかの戦いを経るうちに成長してきた、軍を手足のように動かせるようになっている、と宮城谷せんせも認めている。司馬懿も軍事的才能については曹操に認められていなかったが、曹叡の代になってやっと好きなようにやらせてもらい、結構イケるんでっせ、というところを見せつけている。そんな諸葛亮 vs 司馬懿、という話になってきた。後世に語り継がれている五丈原の戦い、籠城する司馬懿諸葛亮の軍が攻めるわけだが、ここでは先に動いた方が負け、というような状況で、いわば我慢比べをしている。そこで諸葛亮司馬懿に巾幗(きんかく)を送る。巾幗というのは女の髪飾りであるが、広い意味では女物の服装、ということでもあるらしい。つまり、「男やったらとっとと出てこんかいこのヘタレが!」と挑発したわけだ。
ちなみに北方謙三版の『三国志』では、司馬懿はサディストの変態、みたいな書き方をされている。この五丈原の戦いに関するエピソードにおいては、司馬懿はこの諸葛亮による挑発に対し、贈られた女物の衣装を着て、のたうち回って悔しがった、ということになっている。どこまでも変態扱いだ、気の毒に。
そうやって司馬懿をおちょくっているうちに諸葛亮は死亡してしまう。もともと丞相の職は激務なのだが、諸葛亮は些細なことも疎かにしなかったため、過労死してしまったということのようだ。そんなマイクロマネジメントしても良い事はないですよ、もっと部下に権限委譲したらどうですか、って誰か言わなかったのか。あるいは言ったけど聞く耳を持たなかったのか。
さて諸葛亮が死んだってんで、退却する蜀の軍を、いよいよ城から出た司馬懿の軍が追いかけるわけだが、途中で「待て あわてるな これは孔明の罠だ」と言い出して兵を引き退却した、と言われている。諸葛亮の術策を怖れるあまりに、諸葛亮が死んだ、という情報自体が司馬懿をハメるための罠だと思い込んで逃げ帰った。ということで、これが有名な「死せる孔明、生ける仲達を走らす」というやつだ。しかしながら実際のところは、別に「孔明の罠」にビビったわけでも何でもなく、退却する蜀の軍を追撃したが、必死で後拒する姜維楊儀の軍は意外と強く、なかなか撃破できないうちに益州にかなり入り込みそうになったので、途中で断念して撤退した、ということらしい。しかしそんな事情なんぞ知らない周辺の人々は

死諸葛走生仲達

などと言って笑ったのだそうな。これが後世まで語り継がれるわけですな。それにしても、「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」なんですな。なぜここで諸葛亮は諱で、司馬懿は字で呼ばれてるんだろう?そっちの方が語呂が良いんですかね。まあどうでも良いことだけど。
さて、残すところあと2巻、有名な三国志キャラで生き残ってるのってもう、司馬懿孫権ぐらいですよ。どうするのこれ。