野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

味噌ってのはよ

たとえば一週間ぐらい海外出張に行ったとする。その間の食事に関して、わたくし大抵のものは食べられるので、カロリーが高すぎるとか量が多すぎるということを除けば特に大きな問題はない。しかしながらやはり、終盤に近づいてくると無性に食べたくなるのがラーメンとかうどん、そして味噌汁だ。意外と米は食べてなくても大丈夫。
一年と少しの間アメリカに駐在していた時は、近所のスーパーで米も味噌も野菜も手に入ったので、電子レンジで炊飯できる「楽チン御膳」(とても重宝した)で飯を炊き、味噌汁を作っては食べていた。おかずは3日ぶんぐらいを日曜日に作りおきする。週の後半になるとだんだんストックがなくなってくるが、週末ぐらいは少々ヤクザな食事(朝はパンで昼はサッポロ一番、夜は適当なアテを作ってビールとかワイン飲んどく、とか)でもどうってことなかった。
つまり、味噌汁さえあればだいたい大丈夫、と思っていた。毎日でなくてもよい。週のうち4〜5日ぐらい摂取できていればなんとかなる、という感じ。
だから『一汁一菜でよいという提案』には深く同意する。

一汁一菜でよいという提案

一汁一菜でよいという提案

  • 作者:土井 善晴
  • 発売日: 2016/10/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
もっともわたくしの場合は、とにかく毎日味噌汁を欠かさない、パンでもパスタでも味噌汁、というところまではいかないけども。
いろんな食材を入れた具沢山の味噌汁(一汁)と漬物(一菜)にご飯があればそれで十分、というこのコンセプトは、世の多くの人を救ったようだ。
そこそこの手間をかけて何種類もの食材を刻み、調理して、それで皿に大盛りのおかずが一品、という食事になってしまうことについて嘆いていたわたくしの妻も、そのうちの一人だ。
で、味噌汁と漬物とご飯さえあれば何とかなるんだぜ、という話から先への展開が、さすがは土井せんせ、というところだ。
箸を横向きに、食べ物と人間との間を区切るように置くのは和食だけだというのは、今まで気づかなかったけれども言われてみればその通り。ナイフやフォークは左右に、縦向きに置きますわね。箸で結界を張ってるんですって。へええ。
そして、「造る」という漢字。本来、人間がつくれるものに対しては「作る」という漢字をあてる。だから「お造り」というのは、単に魚を切るだけの料理ではないわけだ。そして、味噌でも酒でも醤油でも「醸造」するものってのは、人間が作るものではない、ということでもある。なるほど、まさに「ピュシスからの贈り物」という感じがいたしますな。
さて今夜も、ありがたく贈り物をいただこうではありませんか。