野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

不要不急と言わないで

老父が食道癌によりものを飲み込みにくくなったためステントを設置する処置を行なったわけだが、その予後はあまり芳しいものではなかった。手術の後に退院してしばらくは自宅で過ごしたものの、熱が出るというのでまた入院した。
そのうち、高い熱が続くようになり、食道癌も終末期で肺炎も起こし始めている、とのことで、延命措置は行わないことについての合意書にサインを求められた。
これはいよいよ覚悟せねばならんのだな。今のうちに見舞いに行きたいところだが、現下の状況では容易な話ではない。そもそも病院が、家族も含めて面会を禁じている。
そのようにやきもきしているうちに、熱が下がったと聞いて一安心。
少し元気になると病院の備品をくすねたりして、相変わらず素行が悪い。

というのも束の間で、数日調子の良い日が続いた後、また熱が出てきて、今度はいよいよモルヒネ系統の痛み止めを使いますよ、と病院から言われる。
そして本日5月4日の早朝に連絡があり、息苦しさを訴えており酸素レベルも低下している、面会するなら今である、と。
面会は原則禁止であるが、県外からでも熱が無ければ可。一両日中に容態急変の可能性あり。
とのことで、朝イチで荷物をまとめ、車で鳥取へ向かう。
いま日本で2番目に新型コロナウイルス感染者の多い大阪から、2番目に少ない鳥取に移動するわけで、それなりの覚悟で行かねばなるまい。

ふだんのゴールデンウィークならいったいどうなっていたかわからないが、幸か不幸かこういう状況であるため移動は非常にスムーズで、午前10時すぎには病院に着いた。過去一か月の海外渡航や国内の移動、体調等に関する問診票に記入してから病棟に電話をし、入り口で検温と手指のアルコール消毒を行って病室へ。
わたくしが病室に入った時、父はまだ朦朧としており会話にはならなかった(そもそもわたくしを認識できていなかったように思う)が、徐々に意識もはっきりしてきたらしく、その後に入れ替わりで病室に入った妹とその家族、そして弟とは多少なりとも話はできたようだ。
それじゃ一人留守番に残るとして、あとはとりあえずみんな家で待機するか。ということでいったん解散。
そして実家に帰り着いた途端、留守番をしていた弟から「心停止した」との連絡が入った。

あわてて病院に戻った時にはもう、息を引き取った後だった。
朝からある程度は覚悟をしていたとはいうものの、予想以上の急展開だった。
さっそく近親者に連絡をし、葬儀社にコンタクトを取り、諸々の事務処理を行い、数時間後には父の遺体とともに葬儀社の遺族控え室で担当者との打ち合わせを行なっていた。
とりあえず、菩提寺の住職が来て枕経を上げている時に、いったいどこに反応したのか不明であるがわたくしのiPhoneのSiriが起動して何やら案内していたのが本日のハイライトか。あんたはちょっと黙っときなさい。
なんだかもう、流されるままにわけもわからずここまで来た、という感じだ。
そんなわけで昼飯を食べそびれたので、晩飯には鳥取の名店ぐらっちぇの彩り弁当をテイクアウトして貪った。
さすがはご馳家ぐらっちぇ、美味いやんけ。
明日からが本番でっせ。