フーコーの本を読んではみたものの、結局何がなんだかわからなかった。では、まずはフーコーの思想についての解説書でも読んでみたらどうだろう。そう思って講談社現代新書の「ミシェル・フーコー」を読んだ。
- 作者: 内田隆三
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1990/03/16
- メディア: 新書
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どうもこの、講談社現代新書ってのはハズレが多いな。もともと難解だと言われているフーコーの思想を、難しく書いてどうするつもりだ。
「能記/所記の表象関係はこの外部の世界から自律しており、所記はこの純粋な表象作用の内部に残余も不透明さもなく宿るのである」
「言語は表象から解き放たれると同時に、断片化され、分散した状態でしか実在しなくなるのである。言語が表象的な言説のうちに維持していた透明な統一性は消滅する。言語は不透明な厚みとして断片化され、細分化されるが、そこに生じる裂け目から一つの形象が顔を覗かせる」
「ここに見出されるのは、言表機能が行使される一領野である。そこには孤立した原子的「言表」ではなく、一定の言表群が存在する。だが、この言表群がそのまま言説として存在しているのではない」
…アホか。何を言うておるのか一体。そんなんだったら原典を読むわ、ヴォケが。まあこれが理解できない俺様のほうがアホでヴォケなのかも知れんがな。ちゃんと表紙に「かしこいひと限定」と書いとけ、っちゅうねん。
とはいうものの、最初のほうに書かれている、「フーコーが何を問題にしたのか」というあたりは何となくわかるし、面白そうだなと思う。知の枠組み、エピステーメが時代ごとにどう変遷していくのか。それを考古学の手法を使って説明しようとした(それが「知の考古学」なんだろう、多分)。そして、そのエピステーメの外側で思考しようとした、つまり思考できないものについて考えようとした、なんていうあたりはちょっとスリリングな感じ。けど、その具体的な説明のところがなんだかさっぱり。だいたい難解な述語をまともな説明も無しに使い過ぎじゃないの?「表象」とか「形象」とか「外徴」とかさ。「同一性」っていうのも、どうも文脈によって微妙に意味が違ってるように思うんだけどな。