数年前にブクレコに投稿した『経済ジェノサイド:フリードマンと世界経済の半世紀』という本のレビューを、本が好き!にコピペ投稿した。それに対して、宇沢弘文もフリードマンには迷惑していたらしい、てなコメントをいただいた。そこで紹介されていた『人間の経済』を読んでみることにした。
宇沢弘文。「日本で一番ノーベル賞に近い経済学者」と言われていたらしい。
難しい経済学の理論でごりごりやられたらたまらんな、と思っていたのだが、そんな心配は無用だった。これは「そういう本」ではないのだ。
経済学というのは、その活動の主体であるところの人間に関して、常に合理的に振る舞うものと看做し、かなり雑な捨象をした現実世界のモデルに基づいているもの。と、わたくしは思っていた。しかし、必ずしもそういうものではないようだ。「経済学において大事なのは人間の心」などと書いてあるので、ちょっとびっくりした。
そして、「大切なものは決してお金に換えてはいけない」と説く。大切なものとは何か?医療、教育、そして水、土地、空気、自然環境などの天然資源。これすなわち社会的共通資本というやつである。医療や教育を市場原理主義に任せたときに、どれほど悲惨なことがおこるか。これはすでにアメリカにおいて実証済みだ。いやこれは他人事ではない。日本だって同じようなことが起ころうとしている。
ミルトン・フリードマンについて。確かに、フリードマンとはシカゴ大学で同僚だった宇沢は本書で彼の発言にはずいぶん迷惑した、と書いている。すげえなフリードマン。さらには、
フリードマンの市場原理主義はネオリベラリズムより、ずっと過激で、先鋭的です。しかし実のところ、そこには一貫した経済学の考え方というものが見当たりません。フリードマンが発言するのはひとんどがミクロな側面についてで、しかもその時々でちがっている。マクロ的な側面については、たしかな論文も発言もないのです。
とか、宇沢の教え子の一人をMITに推薦した時には
と断られたとか。なるほど、そりゃ迷惑だわ。
思っていたのとはずいぶん違った。想定以上に面白い本だった。
とりあえず、水道を民営化させるとか言ってる連中なんてのは売国奴だぞ。