『三国志 第7巻』。周瑜が苦労して江陵を攻め落としている間に、劉備が荊州を掠め取るの巻。いやーヒドいですなまったく。
- 作者: 宮城谷昌光
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2011/10/07
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (5件) を見る
ちなみに、「赤壁の戦い」で曹操軍が大量に射った矢が周瑜軍の船に突き刺さり、傾きかけたので船の方向を転換し、今度は反対側に同じぐらい大量の矢を受けてバランスを取った。実はこれは矢を大量に集めるために敵軍の矢を利用するという諸葛亮の奇策である。なんて話がまことしやかに語り継がれているが、これも作り話であるらしい。曹操が孫権討伐に行った時に孫権が大きな船で曹操軍の目の前を通り過ぎて挑発した、てのは事実で、そこで大量の矢を受けた、てなことぐらいはまああったかもしれないが、それを再利用したというような史実は無いし、そもそも諸葛亮なんて関係無いし。てなことらしい。
ところで魏では、荀彧が自殺してしまう。荀彧については、自殺したという説と、病死したという説があるが、ここでは自殺説を取るようだ。
WOWOWのドラマでも、荀彧は曹操が魏王になることに対して遺憾の意を表明した後、曹操から贈られた食べ物の器の中身が空であることを知って呵々大笑し、そして曹公の考えがこれでよくわかった、と言って服毒自殺する。あの時テレビを観ながら、いやいや何がわかったんだ文若、ちーともわからんぞ、と思った。この本でもやはり、贈られた食べ物の器を開けてみたところ中身が空っぽだったので
その瞬間、すべてをさとった荀彧は毒薬を飲んで死んだ。(p.305)
とある。もうちょっとその辺ちゃんと説明してくれよ、と思うと、
これが荀彧の死の実相であるとしておいたほうがよいであろう。付会の説話は、かえって事実をゆがめてしまう。(p.305)
などと書かれている。
えええ、と思ったがあらためてよく読み直してみる。
荀彧は、曹操が魏王になることに反対していた。それを知った曹操は「荀彧よ、どうしたのか」といぶかったそうだ。実質上すでに終わっている漢王朝がいまだに続いているように見せかけるというのが意味わからん、と。で、孫権討伐の行軍中に、荀彧を呼び寄せた。ただしこれは、上表を行なって、荀彧を派遣するよう請うた、という形にしている。つまり荀彧が天子の使者である、というかたちにしたわけだ。ここがポイントなのだろうな。それまでそんなややこしい事をしたことがなかったので「はて、曹公は何をお考えになっているのか」といぶかる荀彧に贈られたのが、中身が空の食べ物。つまり、天子の使者という立場の荀彧に対して、今の漢王朝なんてのはもう、この食べ物のように形だけは残ってるが中身は空っぽじゃないか、と突き付けた、ということじゃなかろか。いやまあ、知らんけど。そういうあたりまで説明してくれるほどこの著者は親切ではない。これから先が思いやられますなあ。