野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

ハバナあたりの昔の話さ

ヘミングウェイにかぶれてフローズン・ダイキリに酔いしれてたのは、亜麻色の髪のサラって女だけど、そういえばヘミングウェイって読んだことあったかな?
そう思って蔵書を漁ったら『武器よさらば』の大久保康雄訳による新潮文庫が出てきた。
しかしまったく内容を覚えていない。改めて読み直してみたいが、500ページ弱で割と分厚い。厚さもさることながら、字が小さい(昔の文庫本ってけっこう字が小さいよな)ので、ちょっと気が乗らない。
もうちょっと軽めのものを、ということで『老人と海』をKindleで読むことにした。

冒頭の

漁師は老いていた。一人で小舟を操って、メキシコ湾流で漁をしていたが、すでに八十四日間、一匹もとれない日がつづいていた。

という、なんとも乾いた味わいのセンテンスに、うわー何このハードボイルド風味、と思ってしまった。
ヘミングウェイこそがハードボイルド文学の最高峰である、と言われていることを、恥ずかしながら今までわたくしは知らなかったのだ。

不漁の続く老いた漁師が、久しぶりに大物のメカジキを釣り上げる。どれくらい大物かというと5メートルを超えるらしい。だから一言で釣り上げるったって、それはもう大ごとなわけだ。
メカジキを釣り上げるまで、数日にわたって繰り広げられる船上での格闘。やっとのことで釣り上げたら、今度は釣り上げたメカジキを狙って群がるサメの群れとの死闘がその後に続く。
こういう不条理というのはやはり、自然相手の漁業とか農業にはついて回るのであるなあ、と思う。
物語の大半は、船の上での出来事であり、老人の回想と独り言で占められる。こういう時って独り言が増えるのよな。客観的に見れば独り言だが、それは釣ったメカジキや船にやってきた鳥や、あるいは自分自身との対話だったりする。
ストーリーとしては極めてシンプルだし、見ようによっては、だから何なの、ということになるかもしれない。ヘンコでマッチョな老人にも、さほど共感を覚えない。なのにぐいぐいと読み進めさせる不思議な勢いがある。あるいはそれがこのシンプルでドライな文体の力なのかもしれない。
字の小さい『武器よさらば』も改めて取り組んでみるとしよう。