野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

ブリコルール登場

かねてから懸案になっていた「野生の思考」に、ついに手を出してしまった。レヴィ=ストロースと言えばこれ(もちろん「悲しき熱帯」もあるけど)、というぐらいに有名な著作ではあるが、なんせ値が張るので、買ったは良いがぜーんぜん理解できなかったらどうしよう、という恐怖が先に立ち、なかなか手を付けられずにいたのだ。

野生の思考

野生の思考


それでも各種の入門書や関連する書籍を読みあさり(それはちょっと大げさか)、かなりの時間をかけて準備をしてきたつもりだ。いよいよ機は熟した(別に根拠はないけど)、とみて、今年最後の大盤振る舞い、とばかりにばばーん、と。
まあある程度覚悟はしていたが、やはりタフだった。なかなか読みすすめられない。読み始めたのは先月の終わりごろだが、これ年内に読み終えられるだろうか… とかなり不安を覚えたものだった。それでも不思議なもので、読んでいくうちにそれなりにペースは上がって来て、なんとか3週間ほどで読み切れたわけだ。
しかしまあ、正直なところ「読み終わった」という感じがまったくしない。むしろ「始まった」という感じのほうが近い。そりゃ何と言っても20世紀を代表する巨大な知性の著作であるからして、そんなさらさらっと読んであー面白かった、てなもんではないだろうとも思うし。たぶんそれで良いのだ(負け惜しみじゃなくて)。これから何度でも、折に触れてぱらぱらと読んでみれば良い。なんでかしらんがそんな気がする。
上に「関連する書籍を読みあさって準備した」と書いたが、実際には「今日のトーテミスム」を読んでおかなかったのはちょっと失敗だ、多分。どうやら同書で述べられていることについてあちこちで触れられているのだが、あまりそれについて詳しくは解説されない。先に読んでおけば、かなり理解度も違ったのではないかと思われる。あと、最後の「歴史と弁証法」は、サルトルに反論し粉砕した、ということで有名な章であるが、その肝心のサルトルの主張が何なのかを知らなければ、その反論が何を言っているのかさっぱりわからんということになってしまうではないか。これまた悔やまれるポイントのひとつである。
それでも、様々な部族についてその儀礼や禁忌の豊富な例を挙げ、それらから抽出されてくる同型性をもとに、ちょっとたまげるような洞察を導きだしてくる流れは、内容の正確な理解はできなくともそのダイナミズムを感じるだけで十分に刺激的だ。
あと翻訳について言えば、さすがに古い本なので、今日的な眼で見るとちょっとばかし硬いかなというところも散見される。まあ全体に格調は高くて、こういうのは嫌いじゃないのだけど。たとえば「宇宙論」なんていう言葉がぽろっと出て来たりして、これは原文ではCosmologieだったんじゃないかと思うのだが、当然ビッグバンとかブラックホールの研究をしているわけじゃないので、どちらかというと「世界観」みたいな言葉のほうがまだしっくりくる。これはもうカタカナで「コスモロジー」と訳してしまえば、そっちの方がかえって通じやすいと思うのだけどどうだろう。あと、「能記/所記」は、あらためて日本語で書かれると、「えーと、どっちがどっちだったっけ?」と毎回悩んでしまうので、これもカタカナで「シニフィアンシニフィエ」と書いてもらったほうが助かる。何、結局「どっちがどっちだったっけ?」と悩むのだけど、とりあえず悩むのが一回ですむから。