野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

リトルブラザーと俺パノプティコン

「生権力の思想」というタイトルを書店で見て、おっ、と思った。フーコーのアレか、bio-pouvoirか!ということでついうっかり購入。

生権力の思想: 事件から読み解く現代社会の転換 (ちくま新書)

生権力の思想: 事件から読み解く現代社会の転換 (ちくま新書)


以前フーコーの「性の歴史」を読みながら、なんだこれ、意味わからんぞ… ともやーっとしている時に、このキーワードが出てきて、そこから後はもう、本当に、何が何だかさっぱり理解不能になってしまったものだった。
近代以前の権力は、「従わなければ殺す」だったものが、近代以降は人々に介入し「生かしておく」ものへと変わっていった。などと言われても、ねえ。
と思っていたのだが、この本ではその「生権力」について、現実にあったいくつかの事件、そして社会現象などのいくつかの事例をもとに、それがいったい我々の日常生活においていかなる現れ方をし、どのように影響を与えているのか、についての考察を繰り広げる。なるほど、この本を読んで、やっと「生権力」とは何なのかがわかった。
と言いたいところだが、実際のところはなかなか厳しい。が、今までまったく何の手がかりもなかったものについて、ある種のとっかかりみたいなものを見つけられたような気がする。単に気のせいかもしれないけど。
全体に、とても面白いのだがやはり難解で、特に肝心なところについて解説されている部分のロジックをどうしても追いきれない。たとえば、「規律訓練型」の権力は、ドゥルーズのいう「管理型」の権力とは違う、というのを自動改札機を例にした説明とか、「女の身体は見えない」という理由とか。そういえばこの「女の身体は不可視である」というテーゼは、なんだかラカンの「女は存在しない」みたいだな、と思いながら読んでいたら、すぐ後に

ジャック・ラカンの「女は存在しない」という謎めいたテーゼは、こうした文脈で解釈することもできるだろう。
(p.103)

などと書かれている。いやだからその文脈がそもそもようわからんのですって。
しかしまあなんですな、ようわからんのだけど、わからんなりに何だか非常に興味深い、というのはあるもんなんですな。難儀なことである。
性懲りも無く、またフーコーの「性の歴史」にもう一度挑戦してみようかな、という気になってきた。