シェイクスピアの「マクベス」を読んでみた。最近いろいろと新訳も出ているようだが、やはりここは由緒正しい(?)福田恆存氏の訳で。
- 作者: シェイクスピア,福田恒存
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1969/08
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なかなか面白いのだが、マクベスがダンカン王を暗殺する動機がちょっと薄弱じゃないか?基本的にはダンカン王に忠誠をささげる勇猛な武将というキャラクタ設定のように見えるのに、それがちょっと魔女に思わせぶりな予言をされたからっていきなり誅殺、なんてどうも無理があるんではないかと思うのだ。なんぼ嫁はんにケツ叩かれたからっていくらなんでも。裏表紙のあらすじには「かねてから、心の底では王位を望んでいた」なんて書いてあるけどね。
実は、本編の後にある福田氏による「解題」にそのへんはちゃんと触れられているのだ。
のみならず、もっと長い『マクベス』を想定しうる内的証拠が幾つかある。注意深い読者なら、この台本を翻訳で読んだだけで、それに気附くかもしれない。第一に、マクベスはいつダンカン王の殺戮を決心したか。それをいつ夫人に打ち明けたか。また、夫人の言によれば、気の弱い彼が、どういう経路を辿って、その気になったか。第二に、マクベス夫人の性格に少々不明な点がありはしないか。第一の疑問と関連して、最初に陰謀を企てたのは夫人だったのか。夫人は自分で手を下すつもりだったのかどうか。第三に、バンクォーの態度が曖昧に見えはしないか。マクダフはなぜ妻子を見殺しにしたか。そういう劇の論理的構成という点から考えて、第一の『マクベス』劇から多くの場面が割愛され、一六〇六年の『マクベス』劇ができたのではないかという想像が生まれるのである。
うん、やっぱりそうでしょ、なんか不自然だと思うよ。
ところがその後で言うには
もちろん、今日の『マクベス』劇はそれらの難点を補っている。むしろシェイクスピア作品中、最も密度の高い凝集力をもっていると言えよう。右に述べた心理や性格の不明確という事も、いわば論理的な観点に立ったものに過ぎない。その圧縮された詩的表現は、説明上の曖昧を超えて、読者や見物を統一した劇的発展の中に否応なく引きずりこんで行くのである。
ときたもんだ。うーむ、言いようもあるもんやな。
そのように、『マクベス』劇では、ただ一つのせりふが多くの説明的な場面に代っていて、我々は一行もうかつに読み過ごす事が出来ない。
はい、そんな感じです。まあだから確かにかなり濃厚なんだよな。
ということで、次は、うーん「ヴェニスの商人」にしようかな。