野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

ずっとウソだった?

うわーこのタグひさしぶりだわ。
いや実はもう一週間以上前なのだけど、話題の(そうでもない?)「大津波と原発」を読んだのですよ。

大津波と原発

大津波と原発


薄い本だけど、中身は濃い。このお三方ならではの、リアルかつクールなお話が読めるんである。
中沢さんが「緑の党」とか言い出すんで、ちょっとびっくりしたけど。
実はわたくしこのブログを書くにあたってはそれなりに気を遣っていて、あまりにイデオロギッシュな内容は極力避けていたのだな。
だから原発関係の話題もあえて遠ざけていたりして。
で、オマエはどう思ってたんだ、と詰め寄られると、えーいやその辺はまあむにゃむにゃ… となんとも切れ味の悪い態度を取ることだろう。
でもまああえて言いますと。原発というもの自体には、やはりどこかこう危なっかしいものは感じていた。いやべつに今回の一件があったからということではなく。
そして、何よりもその周辺が胡散臭くてしかたなかった。
だけど一方では、その危なっかしくて胡散臭い原発の恩恵も多いに享受していたわけで。
やっぱり暑い夏にはクーラーの効いた部屋で快適に過ごしたいし、思い立ったらいつでも冷えたビールが飲みたいし、ちょっと調べたいことがあれば即座にGoogle様にお伺いをたてるし、そしてこんな夜中にこうやって駄文を書き連ねていたり。
だから、あまりヒステリックな「原発反対!」ってのも、ちょっとなんだかなー、というところがあったのだな。
でもやっぱりわかった。原発に頼るのはやめるべきなんだろうと思う。急には無理だろうけど、ぼちぼちと、細心の注意を払いながら必要なところには使い、でも少しずつやめていく、みたいな感じで。
まさにウチダ先生が書かれているように、人間の営みというのは基本的に愚かなものであり、常に信じられないような愚劣な過ちを犯し続けるものである、という前提に立って物事を考えるべきなのだろう。それぐらいでちょうど良いのだ、ほんとうに。
チェルノブイリの事故だって、あり得ないようなミスが4つも5つも重なって起こったのだから。
リスクが顕在化したときのアウトカムの、社会的な、あるいは人類全体に対して及ぼす影響が法外に大きい、このようなテクノロジーに対して、通常のリスクマネジメントの考え方とか経済合理性みたいなものを持ち出すべきではないのだろう、きっと。
ま、こんなことをグダグダと書き連ねるくらいなら、さっさと電気消して寝た方がよっぽど節電になって良いと思うけどね。ことほどさように人間のやることは愚かしいのですよ。
お前と一緒にすんなってか?へぇえらいすんまへんな。