野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

ミルトンの大活躍

あのアベノミクスとかいうやつさ、インチキだよな。
と思ってもそんなことは言わない。わたくしはエコノミストではないから、よくわからない。よくわからないけど、なんとなくインチキくさい感じがする、と、それだけのことだ。
経済の自由化、というのは基本的に良いことのように思えるのだが、行き過ぎた自由化、あるいは無節操な市場原理の導入というのは、格差を拡大し、場合によっては国家の経済を破綻させることもある。これが「経済ジェノサイド」である。

経済ジェノサイド: フリードマンと世界経済の半世紀 (平凡社新書)

経済ジェノサイド: フリードマンと世界経済の半世紀 (平凡社新書)


この本はミルトン・フリードマンとその主義・主張や各種の活動を追っていくことで、新自由主義ネオリベラリズム)とかマネタリズムとか市場原理主義とはいったい何なのか、について考えている。いや本当は、経済というよりは、“もっと根本的に「経済」と呼ばれる領域を相対化し、「経済」の大義名分のもとで見えなくさせられたものを見直すことを課題としている”(p.20)のである。別にフリードマンを非難することを目的としたものではない。
読んでいると「ひでぇなフリードマン」と思うことがしばしばあるけども。
自由主義経済と計画主義経済という対立軸ではなく、二つの「人間」概念=「アントロポス(anthropos)」と「フマニタス(humanitas)」の関係を考える。ギリシャ語のアントロポスは、「人類」とか「人間」とか猿から進化してきたそのままの感じだが、ラテン語の「フマニタス」は”諸動物、畜生とは違う人間サマという位置づけの人間概念”(p.22)で、ヨーロッパ起原の思想の歴史ではずっとこちらが優位に立ってきた。フマニタスは知の主体であり、アントロポスはその生活や文化や習慣をフマニタスに調査・観察され、支配され、統治される対象である。経済は、フマニタスが“各地のさまざまなアントロポスを、そう名付けることもなく統治し、支配し、啓蒙し、場合によっては絶滅させてきた”(pp.22-23)歴史の中核である、とそんな話だ。内容はどうも難しくてよくわからないのだけど、この切り口はなかなか面白い。そして著者のフリードマンに対する微妙なツッコミもまた、なかなか楽しい。たぶんちょっと間違った読み方だとは思うけど。
これからは、美味しいけど安いチリワインを飲むとき、少しだけ自分が火事場泥棒になったような気分になるかもしれないな。