野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

当時の人類は35億人しかいなかったのだ

このコロナ禍にこそあらためて読んでみよう、ということで『復活の日』を再読。いや3回目だったかな?いずれにしても、内容はほとんど覚えてなかった。最初に読んだのはたぶん中学ぐらいの時だったと思う。

復活の日 (角川文庫)

復活の日 (角川文庫)

細菌兵器の研究所から盗み出されたウイルスを輸送中の飛行機がアルプス山中に墜落。それが春の雪解けとともに世界中に広がってパンデミックとなり、やがて人類はほとんど滅亡。
というような話なのだが、前半部分の、謎の風邪や突然死が世界中に蔓延し始める様子というのがもう、「そのまんま」で、そのリアリティに震える。
これが1960年代に書かれた小説なのだから驚く。もちろん人々の暮らしや風俗、また各国の政治体制は当時のものであるからその部分は相応に古いわけだが、何というかこういう災厄に対する我々の反応というか振る舞い方というのは、そんなに変わってないように思える。
もちろん、今回のCOVID-19騒動は、この小説のようなカタストロフィにつながるようなものではない(多分)のだけど、こういうシナリオだって可能性はある、ということで、感染症パンデミックというのは、人類に対して深刻なダメージを与えうる現実の脅威として捉えておかねばならないのだなあ、と思ったことだった。

そしてこの作品を単なるパニック小説にとどまらず、とてつもなくスケールの大きなものにしているのは、この物語に対して一般の民衆、国家、地球人類全体、さらには宇宙、という複数の視座から捉えているところだろう。
われわれ一般大衆にとってみれば、パンデミックなどというのは不条理な災厄以外の何者でもない。しかしタイムスケールをビッグバンから、とは言わないまでも例えば地球が出来上がって以降、太陽の周りを何十億回と公転するその星の表面では、その間にある生物の種が発生し繁栄しては様々な原因によって消えていく、ということが何度となく繰り返されており、これも結局はそういう「よくあること」のひとつだ、と片付けられてしまう。
そして、「人類」の立場でその歴史を総括しているのが、パンデミックでほとんどの人々が死に絶えた状況において、聞く人がいるのかどうかわからないラジオの放送でユージン・スミルノフ教授が語る文明史の「最終講義」だ。
この十数ページにわたる長広舌は、『カラマーゾフの兄弟』の有名な「大審問官」のパートを連想させる。ちなみに多くの人が絶賛する「大審問官」は、正直なところわたくしにとっては少しばかり長すぎて退屈だったのだが、このスミルノフ教授の講義の内容で興味深かったのは、

いまや知識人全体の歴史的責任が立ち上がってくるのです。……すべてを科学者の責任に帰すことは、絶対にできません。いや、そこからさきはーー はなばなしい科学者にくらべて、今世紀はむしろ後景にかくれ、めざましい実績をあげ得なかった哲学者の責任でありました。

というところだ。
科学の発展は権力や資本と無関係ではいられない。哲学者が科学者と協力し、原料あるいは資本の僕となることを防ぎ、本来の主である理性にのみ仕えることを可能にしていれば、歴史はもっとかわったものになっていたはずだ、と指摘している。
先日読んだ『世界史の針が巻き戻るとき』の中でマルクス・ガブリエルは

物理学者も、一度ぐらい役に立つことがあるかもしれません。はっきり言わなければなりませんが、この惑星を破壊したのは物理学者たちです。よく哲学は役立たずで物理学は役に立つと言われますが、それは間違いです。物理学は人類に甚大なダメージを及ぼしました。
物理学は本当に、そろそろ何か役に立つことをする必要があると思います。哲学者はすでに始めています。人類を救うためにグランドセオリーを構築しています。物理学者も同じように役立つべきだと私は思います。

と言っていた。これって60年前にスミルノフ教授が言っていた(いやスミルノフ教授は実在しないけども)「哲学者の責任」を21世紀でガブリエルは果たそうとしているのだと、そういうことのように思える。

まあとにかく、すごい小説ですわね。