野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

シンクロニシティ?

「実を言うと、次は『山月記』をテーマに書こうと思っています」
とある居酒屋でビールを飲みながら、柳広司氏はこう言った。飲んだくれながら、あの小説は好き、この小説が素晴らしい、てな話をしていて、中島敦の「山月記」は日本の文学史に残る傑作である、ということで意見の一致を見たときのことだった。そして彼は、
「隴西の李徴は博学才頴、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃む所頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった…」
などと「山月記」の冒頭部分を諳んじ始めたのだった。
まいった、なるほど確かに君の「山月記」に対する思い入れは俺様の比ではない。

あれから数年が経過し、山月記はどうなったんかなあ、と思ったりしているうちに「ジョーカー・ゲーム」なんていう傑作が上梓され、「『このミス』2位!」という惹句とともに店頭で平積みされるようになった。そういう状況のなか、そんなことにはまったくおかまい無し、という感じで「虎と月」がリリースされた。

虎と月 (ミステリーYA!)

虎と月 (ミステリーYA!)


ついに来たか、あれは決して酔っぱらった上でのホラ話ではなかったのだ、と安心しながら書店でこの本を買い求めた。
山月記」は「虎になった男の話」だ。その男=隴西の李徴には妻も子供もいる。その息子にスポットをあて、彼の立場から見たもう一つの物語を立ち上げたのが、この「虎と月」だ。
歴史上の人物や文学作品をもとに、ミステリーを仕立て上げる彼の手腕について、今さらこのわたくしが語ってみてもしかたないことだろう。ただ一言、「大変楽しい物語である」とだけ申し上げておく。
原作において「性、狷介、自ら恃む所頗る厚」すぎたために自意識という猛獣を御しきれず、ついには虎になってしまう李徴は、本作ではもう少しテイストの異なる人物として描かれる。「言葉は、すでにあるものに付与される呼称のリストではない。言葉によって、名前を付けることによって世界が作られる」ということに気付いてしまったナイーヴな青年である。そのため、彼は世界を言分けすることに熱中するあまり、正常に社会生活を営むことが困難になり… てなことになっている。新解釈だ。なんとここでもソシュールだ。「陰陽師」で安倍晴明が言うとおり、まさに名前は「呪(しゅ)」だ。