野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

これまでの哲学の話をしよう

竹田青嗣教授は、いま日本で最も信用できる哲学者じゃないかと思う。よう知らんけど。
本屋で「21世紀を読み解く 竹田教授の哲学講義21講」なんて本を見つけて、即買いしていまった。

竹田教授の哲学講義21講―21世紀を読み解く

竹田教授の哲学講義21講―21世紀を読み解く


プラトンアリストテレスからルソー、カントにデカルト。そしてヘーゲルフッサールハイデッガー。ついでにフロイトマルクスソシュール。その他もろもろ。という感じで、おもに近代西洋哲学が、何をどう問題にしてきて、それにどう答えてきたのか。そして、特にポストモダン以降の現代思想が、何をどう批判しているのか、実はそれは的外れだったりするのだがそれはなぜか。といったようなことを、早稲田の学生と徹底討論。という体裁だ。サンデル教授も面白いが、竹田教授もスゴいぞ。
竹田教授いわく、ヘーゲルフッサールも、きちんと理解されないままに不当な評価を受けている部分があるのだそうだ。まあ時代が違うので、どうしても古臭くなってしまう部分は出てきてしまうのだが、そうではなくて本質的な部分においてやはり彼らの思想は偉大であると。正直どうもよくわからんかったが、そういうことらしい。
以前も引用したように、かのウチダ先生いわく「あらゆるテクストは想像的にそれが書かれたリアルタイムに身を置いて読まねばならない」(「マルクスを読む」より)のである。リアルタイムに身を置かずに読むから誤読するのだろう。
まあヘーゲルだって「心胸の法則」だの「徳の騎士」だの「事そのもの」なんてわけの解らんことを言うから悪いんじゃないか、と思う。
「あとがき」にもこう書かれている。

哲学では、日常の言葉によって、そして多様な生活の価値や感受の中でその内実を理解し確かめる、広範な一般の読者というものを欠いている。だから、哲学ではしばしば、そのときどきの時代精神とジャーゴンで哲学テクストが書かれ、読まれるということがままある(ドイツロマン主義とドイツ観念論哲学の流れはその典型だ)。そしてその時代のバイアスが修正されるのになかなか時間がかかるのである。
(p.356)

それでも哲学者の池田晶子さんなんかは、彼の使っているわけわからん述語に惑わされず、自分の精神が世界精神であると確認して、その思考の動きを確認せよ、と言っている。わかってる人はわかってるのだ。
とにかく哲学というのは、ある問いに対して、それを「原理」によって思考する方法論である、ということなのだ。「あとがき」にはさらにこう書いてある。

哲学の優れた原理は、読み手の精神に入り込めば一生すみつき、その人間の思考を聡明にする。このことは哲学の方法のいちばん大事な精髄である。
(p.357)

良いことを言うじゃないか。なんだか深く納得したよあたしは。