野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

バルトって根性悪いよな

「街場の文体論」、なんだかこれは文庫になるのを待ちきれず、単行本で買ってしまった。

街場の文体論

街場の文体論


ウチダ先生の「クリエイティブ・ライティング」の講義録をまとめ直したもので、内容としてはまあだいたい「いつもの話」のはずなのだが、これがまた面白いんですな。だいたい「文体論」っていっても文体の話なんてあんまり出てこない。ロラン・バルトエクリチュール論の話はあるけど。「エクリチュールの零度」は以前に読んだけど、なんとこんなことが書いてあったのか!という感じだ。なぜあの本が壊滅的に理解不能なのか、その理由がわかった気がする。
特に面白かったのは、まず第3講「電子書籍と少女マンガリテラシー」。電子書籍で本を読むと、「なんか違う」感じがする、なんとなく面白さが足りない気がするのはなぜか。それは、残りページが体感としてわからないから。「はぁ?」と思ったが、読書というのは「読んでいる私」と「読み終えた私」との共同作業である。そして、今どこを読んでいるのか(どこまで読んだか)によって少しづつ読み方を変えているのだ。というのを読んで「おおお!」と納得した。さらには、書店をうろついていて偶然に「本と目が合い」、何気なく手に取ってみたら、それがまさに自分の読むべき本であった、というような経験が電子書籍では起こり得ない。というあたりではちょっと感動だ。それがなんなのだ?と言われるかもしれないが、これは本好き、書店好きの人にはわかるんじゃなかろうか。
もうひとつは第13講「クリシェと転がる檻」。英語を使うとき、不定冠詞aと定冠詞theの使い分けにはいつも苦労する。この章の「冠詞には、その言語共同体の世界観がまるごと含まれている」というのを読んで「そうか!」と思った。「aは形相、イデア、抽象概念」「theは質料、感覚世界に実存する個物」と言われて「うむむ…」と思ってしまった。オブジェクト指向プログラミング言語で、クラスとインスタンスの違いを最初なかなか理解できないのは、そもそもこのコスモロジーのレベルでの違いも効いているんじゃなかろうか。と思ってみたり。
他にも色々あるのだけどきりがないのでこの辺で。とにかくこんな風に、刺激に満ちた一冊だ。