「民王」を一気読みした。
- 作者: 池井戸潤
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2013/06/07
- メディア: 文庫
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そういや昔、漢字の読めない総理大臣ってのがいたな。泥酔状態で記者会見をしたといわれている(本当のところはどうかわからない)財務大臣とか。なんであんな愚劣としか思えない人々が政権の中枢にいるのだろう、と不思議でしかたなかったものだが、実はあれは一種のクーデターみたいなもので、本物の大臣とドラ息子が入れ替わっていたのだった!
んなアホな。と言いたくなるような話だが、この、誰かと身体が入れ替わってしまうというモチーフってのは割と良くある。で、これってまさに「自己と客体の投射と交換」ってやつですな。こうすることによって自己をより深く理解できるようになるのだ、とヘーゲル先生は、おっしゃっているのだそうです。よう知らんけど。でもこれってそんな話になってるよな、たぶん。
先日の「大人のいない国」に続けてこれを読んだのはまったくの偶然なのだけど、幼稚な政治家、メディア、そして国民ってのはまあ言ってみればこんな感じなのよな。荒唐無稽な話だけどすごくリアリティがある。そして、総理大臣の父・武藤泰山と身体が入れ替わってしまったドラ息子・翔は、政治家のスキャンダルを芸能スクープとしてとりあげることしか考えてない記者たちに向かって「大人になろうぜ」と吠えるわけだ。そういえば、バナナ官房長官ならぬ葉巻大統領のクリントンが、あの下劣極まりないスキャンダルでも辞めなかったというのはけっこう不思議だったけど、アメリカ国民にとっては「それとこれとは別の話」なのだろうな、きっと。最近の我々は、政治家のプライベートに対して、あまりに不寛容すぎるんじゃないかと思うことがある。清潔なのは良いけど、それも度をこすとちょっとしたことにも耐性が無くなって、かえって危険ですよ。