タイトルは「キャラクター精神分析」となっているけど、実際には「キャラ」についての分析が中心になっている。
そう、「キャラクター」と「キャラ」は別物なのだ。「キャラクター」は隠喩であり、文脈依存性が高く、転送可能だが複製不可能だ。一方で「キャラ」は換喩的で文脈に非依存、複製可能・転送不可能である。
なんて言われて、うーんわかったようなわからんような… でもなんだか面白い。第9章の「虚構としてのキャラクター論」ではついにラカン理論が出てきて、これは東浩紀のデータベース理論を建設的に批判する、という試みなのだけど、ここまでやられるともう、私の手にはおえません。
まとにかく、「キャラ」を考える上で重要なのは「同一性」である、ということらしい。コンテキストを超えて、あれとこれが「同じ」であるとはどういうことか。ロバート・ジョンソンのCross Road BluesとクリームのCrossroadsとは同じ曲と言って良いのか。そういうことだなきっと。