野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

対象aとしての「キャラ」

斎藤環さんってやたらサブカルチャーに詳しいよなー。と「キャラクター精神分析」を読みながら感心した。
キャラクター精神分析: マンガ・文学・日本人 (ちくま文庫)

キャラクター精神分析: マンガ・文学・日本人 (ちくま文庫)

 

タイトルは「キャラクター精神分析」となっているけど、実際には「キャラ」についての分析が中心になっている。

そう、「キャラクター」と「キャラ」は別物なのだ。「キャラクター」は隠喩であり、文脈依存性が高く、転送可能だが複製不可能だ。一方で「キャラ」は換喩的で文脈に非依存、複製可能・転送不可能である。
なんて言われて、うーんわかったようなわからんような… でもなんだか面白い。第9章の「虚構としてのキャラクター論」ではついにラカン理論が出てきて、これは東浩紀のデータベース理論を建設的に批判する、という試みなのだけど、ここまでやられるともう、私の手にはおえません。
まとにかく、「キャラ」を考える上で重要なのは「同一性」である、ということらしい。コンテキストを超えて、あれとこれが「同じ」であるとはどういうことか。ロバート・ジョンソンCross Road BluesとクリームのCrossroadsとは同じ曲と言って良いのか。そういうことだなきっと。