野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

セバスチャンの棄教

マーティン・スコセッシが『沈黙』を映画化するという。なんてこった、あんなもんどうやって映画にするんだ。と思ったが、いやまてよ、そもそもあの原作って読んだことあったっけ?と正月に実家の本棚を漁ってみたが見つからない。読んだこと無いんやんけ。中学ぐらいの時に読んだと思い込んでいたけれども、どうやらそれは『海と毒薬』。ぜんぜん別の話だ。
それでは読んでみましょう、ということでkindleにダウンロード。

沈黙(新潮文庫)

沈黙(新潮文庫)

 

 キリスト教が弾圧される江戸時代の長崎にて、ポルトガルからきた宣教師が「転ぶ」に至るまでの葛藤をひたすら綴る、まことに辛気臭いお話だ。
釈徹宗さんは「弱者の宗教は一神教的になる傾向がある」と言っている。これは、法然の浄土宗や親鸞浄土真宗は社会の枠組みからこぼれる弱者のための仏教であるから、やや一神教的な性格を持つ、ということを受けての発言であるが、当時の日本でキリスト教が受け入れられていった背景にはこういった事情もあるんではなかろうか。最後まで棄教を拒み、残虐な方法で処刑され殉教していったのは、搾取され貧困に喘ぐ農民たちだ。ポルトガルから日本に布教にやってきた司祭は捕らえられ、棄教しなければ信者たちを処刑する、と迫られる。このようなダブルバインド状態に対する回答をキリスト教は持ち合わせているのだろうか。
過酷な現実に対して、「神も仏もない」てなことを言ったりする。まさにそのような状況においてこの司祭は、さすがに神の存在を否定はしないが、しかしなぜ神は沈黙しているのだ、と問い続ける。そのあたり、処刑されていった信者たちの方がよほど迷いが無いように思えるな。もはや現世利益というものを期待していないということなのかもしれない。
まあとにかく重い。スコセッシはこれをどう映像化するつもりなのか。公開は1/21から。前売り券買っとくか。