野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

人の嫌がることをしたらアカンよね

イスラム教やムスリムに関して知っていることは、そう多くない。
豚肉を食べない。酒を飲まない。一日のうちに何回か祈りを捧げる。断食をする月がある。人前で女性は髪を隠さなければならない。
大きく分けるとシーア派スンニ派があるが、どちらが多数派だったか、何度聞いても覚えられない(正解はスンニ派だ)。
とりあえず最初の二つだけで、わたくしにはとても無理、と思ってしまう。そんなにストイックな宗教なのに、なぜ世界中の無視できない数の人々が帰依するのか、どこがそんなに魅力なのか、というのがよくわからなかった。

唯一絶対の神であるアッラーに従うこと。このイスラム教の教義は見方を変えれば、この世のあらゆることをアッラーに委ねる、すなわち我々は責任を持たなくてよい、ということでもある。そう考えればずいぶんとお気楽な宗教とも言えるんじゃないか、と『となりのイスラム』に書いてある。
「あくまで、非イスラム教徒としてイスラム教徒がどういう人たちに見えるかという話」と断った上で書かれている内容であるが、なるほどそういう側面もあるのだなあと、ちょっと感心した。
そして、困った人を助ける、子供や老人を大切にする、といった価値観は、わたくしのような非ムスリムにとっても十分に共感できるものでもある。
ある種の暴力性であるとか、女性の人権の抑圧といったようなネガティブな側面というのも否定はできないが、それだって実はイスラム教世界に限った話ではなく、多かれ少なかれ西欧キリスト教世界にもあったものだ。いきなりその部分にフォーカスして一方的に非難するってのもフェアではないだろう。そもそも一神教的な狭量さとか独善というのも、イスラム教においてはあまり感じられない。ムスリムとそれ以外の間に線を引いたり、自分たちの価値観を押し付けてきたりということは、基本的にはしない。それはキリスト教世界がやってきたことだ。
彼らが自分たちの信仰にしたがってやっていることを否定し妨害したりしない限りは、彼らも機嫌良く暮していくはずなのに、あれこれと余計なお節介をするから、いろいろとややこしいことになるのだね。たとえばフランスでのスカーフ禁止令みたいな。
イスラム過激派によるテロなんてのも、元を辿っていくと、国民国家というシステムから生じた不具合、という部分もあるようで。
なかなか難しい問題もいろいろあるのだろうけども、できるだけ彼らの好きなようにやってもらえば、そこまで無茶な話にはならんだろうに、と思ったりもする。
わたくしは相変わらず焼きとんを食べ、ビールを飲むだろう。別にそれを咎められたりしない限り、豚を食べたり酒を飲みたくない人たちに無理には勧めはしない。そういうことだよ。