7年振りに読む「海辺のカフカ」、いよいよ下巻である。
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/02/28
- メディア: 文庫
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例によって内容に関する記憶はかなりあやふやなのだが、この下巻でホシノ青年が喫茶店で偶然聴いたベートーヴェンの「大公トリオ」に感銘を受ける、というくだりは大変によく憶えている。なんといっても、わざわざCDまで買ってしまったぐらいなのだから。
さて今回の出張では、移動中に、あるいはホテルでこの本を読みふけっていた。
上巻を読んだ時点での感想として、「これは現代のオイディプス神話である」などと聞いた風なことを書いてみたわけだが、下巻を読んで、これは黙示録だな、と思った。
マサルちゃんいわく
啓示というのはある日突然、神から降りてくるわけです。啓示への人間の対応は二つしかない。拒否するか、受け入れるかです。だから、キリスト教は実存主義にはなりえない。人間実存をとおして神に出会うというのは哲学者の発想です。神学者の考える神には人間の実存自体を破壊してしまう力がある。
(「はじめての宗教論 左巻」p.51より)
ナカタさんは啓示に従って、中野区からはるばる高松までヒッチハイクをするんである。ホシノ青年も啓示を受け入れ、ナカタさんをトラックに乗せて、仕事もほっぽり出して一緒に行動するのだ。それだけ啓示というのは破壊的なものらしい。カーネル・サンダーズは言う。
「啓示とは日常性の縁を飛び越えることだ。啓示なしになんの人生だ。ただ観察する理性から行為する理性へと飛び移ること、それが大事なんだ。わしの言ってることがわかるか、このメッキしゃちほこボケ」
(p.101より)
なんなんだ、メッキしゃちほこボケって。