先日読んだ『大阪』はなかなか面白かったのだが、実は著者のお二人の著作はまったく読んだことがなかった。
それではいかん、何か読んでみなければと思っていたところにちょうど、柴崎さんの『百年と一日』が文庫になった。
「たまたま降りた駅で引っ越し先を決め、商店街の酒屋で働き、配達先の女と知り合い、女がいなくなって引っ越し、別の町に住み着いた男の話」とか「銭湯を営む家の男たちは皆「正」という漢字が名前につけられていてそれを誰がいつ決めたのか誰も知らなかった」とか、まるで最近のライトノベルのように異様に長い、しかしああいうのとはまた違ったテイストでつけられたタイトルの短編が、何の脈絡もなく並んでいる。
それがどうした、というようなオチの無い話もあれば、ちょっと不思議な物語もある。でも、どれもだいたいが、たかだか十数ページ、短ければ2ページほどのボリュームで、数十年、下手すると百年を超えるタイムスケールの話が淡々と語られていたりする。その中のいくつかは、ある一族のクロニクルのようでもある。
それはまるで、宇宙のどこかからやって来た異星人が、この星に暮らす人々をランダムに選んで、その様子を観察し、記録しているようである。その異星人の時間の感覚は地球人と異なっていて、地球人の百年はだいたい彼らの一日に相当する。そんな感じだ。
ひょっとして、だから『百年と一日』なのだろうか?
何だか不思議なテイストで、いわく言い難い魅力の短編集だった。