野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

Old sport

村上春樹の小説は好きで、だいたい読んでる。だから、彼があれだけ絶賛するのなら、いったいどれだけ素晴らしいんだろう、と「グレート・ギャツビー」を手に取ってみたとしても、そんなにおかしな話では無いだろう。どういううわけか、初めて「グレート・ギャツビー」を読んだときの事はなんとなく覚えている。十数年ほど前のことだったと思うのだけど、確か恵比須町駅から堺筋線に乗り込んで、その本を読み始めた。ところが、最初の数ページで強烈な眠気が襲ってきて、どうしても先に進めなかった。多分、それでも結構な時間をかけて最後まで読んだのだと思う。それから数年後、「きっとあれは翻訳が悪かったのに違いない」と、原書をどっかで買ってきて読み始めた。が、これもまた相当な苦労をした。英語の表現が、どうにも古いのだ。しかし、じっくりと辞書で調べてみれば、ほとんどがそれなりに意味がとれる。あまり変な表現はしてないんだろう。そのあたりは大したもんだ。最近の小説ではそんなわけに行かない。いずれにせよ数週間ほどで投げ出したんじゃないかと思う。そしてさらに何年か経ってから、また何ヶ月もかけて何とか読み切ったのだ、確か。要するに、感想を一言で言えば「あんまり面白くなかった」ということだ。
と言いつつ、実はその後に日本語版でもう一度読んでいる。それでも、寝食を忘れて没頭してしまうほどむさぼり読んだ、というようなことは無い。だけど、初めて読んだときと比べると、何かが微妙に違うな、という感じはした。
さて、そんなフィッツジェラルド村上春樹による翻訳、「マイ・ロスト・シティー (中公文庫)」を読んでみた。

マイ・ロスト・シティー (村上春樹翻訳ライブラリー)

マイ・ロスト・シティー (村上春樹翻訳ライブラリー)


ギャツビーよりはずっと読み易い。短編だし。でも、どっちかというとまだカーヴァーのほうが好きかなあ。
面白いのは、訳者により最初の方に書かれている「フィッツジェラルド体験」という文章だ。そこで彼は、ある作家が読者を魅了するパターンとして3種類を紹介している。そのなかでの最後、3番目は「読み終えて何ヶ月も何年もたってから突然、まるで後髪を掴むように読者を引き戻していくタイプ」だ。フィッツジェラルドはこのタイプに分類されている。ある日突然無性に「グレート・ギャツビー」が読みたくなるんだろうか。