野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

「激をとばす」

また出ましたねー、「パロへの長い道―グイン・サーガ〈108〉 (ハヤカワ文庫JA)」。


あとがきにも書かれてたけど、今回は本編の中にちょこっと外伝っぽいものが挿入されてるという趣向。そのせいか今回は、ちょっといつもと変わった雰囲気でしたな。
ところで、本文中に「けんけんがくがく」って書かれてて、ちょっとショックを受けた。実は、周囲でこれが正しく使われているのをほとんど見た事が無いのだけど、正しくは「喧々囂々(けんけんごうごう)」、または「侃々諤々(かんかんがくがく)」のどちらかだ。しかし、「けんけんがくがく」って書く人はものすごく多い。「的を得る」と同じぐらい多い。本当に、しまいにはこっちが正解になってしまうんじゃないかと思うくらい。そう、言葉っていうのは生き物で、多数決の原理が働く事が多いから。でも、だからこそプロの作家のせんせい方には、日本語を正しく使って欲しい。彼らにはただしい日本語を流通させる義務があると思うのだ。特に、その辺の安モンの作家ならいざ知らず、グイン・サーガシリーズの作者なんだし。まあ、こんな屁みたいなブログを書き散らかしてるヤツなんかに言われたかねーよ、てなもんかも知れないけど。我々はいざとなったら、「いやまぁ、所詮は便所の落書きですけん」と開き直ることも可能だが、なんといってもプロなんですから。


と、ここまで書いて、ちょっと辞書を引いてみたら、じつはあるのだ、「けんけんがくがく」。1993年発行の辞林(三省堂)には、こう載っている。

けんけんがくがく【喧々諤々】
いろいろの意見が出てやかましいこと。〔「侃々諤々」と「喧々囂々」が混交してできた語〕

またまたショック。ちなみに、同じ三省堂から1984年に発行された新明解国語辞典 第三版には、載ってない。まさに、こういうことなんだ。たとえ間違った言葉でも、多くの人に使われ続ければ、それはもう既成事実として確固たる地位を得る。実際に広く使われていてマジョリティがその意味を共有していれば、たとえそれが間違っていようとも、辞書だって現状追認せざるを得ない。しかしそれが一概に悪い事とは言えないだろう。元々の意味が逆転してしまうようなケースはちょっとマズいけれども、似たような二つの言葉がくっついてしまうぐらいなら実害はほとんどない。
いや、考えてみたら、マズいケースもあるよなあ。「役不足」なんかはそうじゃないか?ヘタに正しく使ってると、意味を取り違えてる連中から、「あいつ失礼な奴っちゃな!」なんて思われたりしてな。これも、たとえ間違っていようが、そっちの方がある程度以上の割合でマジョリティを獲得すれば、「そっちが正しい」のだ。こんな時に、最後の一人まで、「正しい」使い方を続けるだけの自信も勇気も偏屈さも、僕は持ち合わせてない。この「役不足」なんかはかなりヤバいんだ。司馬遼太郎だって間違って使ってたことがあるんだから。
まあ、たまたまオリジナルを知っているから、ことさらに誤用されているケースをあげつらって、得意げにグダグダ書いてるけど、きっと同じようなパターンで「もとは**という意味であったが、これが**を表すようになった」的な言葉を、自分でも知らずにたくさん使ってるんだろうな、きっと。