野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

神託とは大きく出ましたな

R文庫8冊め、「残酷人生論」。

残酷人生論

残酷人生論


ずいぶんと短期間に、池田さんの本をまとめて読んだことになる。以前「暮らしの哲学」を読んだ感想について書いたエントリに対するコメントにおいて、Rさんは『「オマエラにわからなくてもかまわん」という感じ』という表現を使われた。が、僕はむしろ、この「残酷人生論」のほうがその感じが強いと思った。やっぱり、どうもしっくちこない部分が残る。それはまだ、彼女が投げかけたいくつかの問いに対して、考え、考え抜いていないからなのかも知れないけど。
たとえば、「生死とは論理である」という節。この節に限らず、死=無であるなら、死は存在しない。存在しないことを恐れることはできない。だから死を恐れるのはおかしい。という論理でもっていろいろとお話をされるわけだが。立花隆さんによる臨死体験の調査に対して、「そんなもんなんぼ調べたかてわかるわけないやん、論理的に考えたらわかるやろ」的にばっさり。いや、それは真意では無いのかもしれないけど、そう読めてしまうのだ。そういう言い方されると、いやアンタなんでもかんでもそう理屈だけで片付くもんでもないやろ、と言いたくなるのだな。こんなことを哲学者に対して言うのはおそらくお門違いも甚だしいのだろうけど。
論理的思考を積み上げて、演繹的に答えを導き出すこと自体は良いのだけど、僕がずっと持っている違和感というのは、その論理の出発点であったりあるいはその論理の展開の仕方なのかも知れない。この本だってもとは雑誌の連載だから、非常に限られた紙面の中にずいぶんと大きなテーマを押し込んでいるせいか、そこで展開される論理には、「え、そうなん?なんでそうなるの?ホンマにそうなん?」と感じてしまうところが少なくないのだ。おそらく、池田さんご自身はこれでもかと言うぐらいに考え抜いて、それは十分に自信を持って書かれた論理なのだろうけど、紙面に書かれている字面のみを追って行くと、どうも唐突であったり強引であったりする感じが否めないのだな。そのあたりが、この人の本を読んでいて、どうも腑に落ちないなと感じる所以なのかもと思った次第。