野生のペタシ (Le pédant sauvage)

Formerly known as 「崩壊する新建築」@はてなダイアリー

そりゃ怒る人もいるよね

エリザベス・キューブラー=ロスの『死ぬ瞬間』は有名な本だ。わたくしも読んだことがある。
と思っていたが、どうも勘違いだったようだ。
この本が、十数年前に読んだ立花隆の『臨死体験』で引用されており、なかなか興味深い内容だったので、これもいずれ読んでみなければ、と思っていたのが、いつの間にか読んだつもりになっていたようだ。

この『死ぬ瞬間』には、死期が近くなった人々が、その事実を受け入れるまでに辿る5段階のプロセスについて説明されている。
自分の死が近づいている、という事実を認めようとしない第1段階「否認」、
なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのかと憤り周囲に怒りをぶつける第2段階「怒り」、
神にすがったり、何かしら行いを改めることによって死を回避しようとする第3段階「取引」、
しかしそれらは悪あがきに過ぎず、間近に迫った死は避けられるものではないと理解して絶望する第4段階「抑鬱」、
そして、最終的にすべてを悟り、死を受け入れる第5段階の「受容」。
有名な話だ。
ところで、資本主義はすでに死んでいる、あるいは余命幾ばくもない、という状態であるらしい。
たとえば最近の『人新世の資本論』などで、その辺りの事情が語られている。資本主義はもう限界に来ている、と。

ほなどないせえっちゅうねん、という問いに対する答えは、この本にも少しあるが、さらにいろいろ突っ込んで考えてみたのが、『新世紀のコミュニズムへ』だ。

「資本主義の死」に対する態度は人によって様々であるが、概ね前記の5段階のうち第1〜第3段階のいずれかに位置するらしい。
SDGsとかあの辺は、そういうことですね。そういえばCO2の排出量「取引」とかいうのもあったな。

資本主義はロクでもないシステムだが、我々が入手し得るもののなかで最もマシである、とずっと言われ続けてきた。しかしもう先がない。ではそのオルタナティブは何か?
その問いに対する「コミュニズム」という答えは、各方面から拒否反応があるはずだ。
しかしここで言う「コミュニズム」は、我々が知っているもの、頭に思い描くものとは異なる。21世紀のコミュニズムは、大幅にアップデートされ、死に瀕した資本主義を代替し得るものとなっているのか。
そのあたりいろいろ解説されている。残念ながらすべてを理解することは、わたくしのアタマの許容量を超えたところにある。が、どうやら可能性はありそうだなとも感じる。
いずれにせよ我々は、まず第5段階に移行し、「資本主義の死」という事実を受容しなければならない。話はそこからだ、ということのようだ。